どう見ても、正しいのはこちらだろう。

……と言って、内輪・近い立場の味方しかいないところで、それについて語ることにどれほどの意味があるのかは結構疑問である。そこに異論を持った、異論を挟んでくれる人がいなければ、何度同じ問いを繰り返したって何も変わらない。ただ視野狭窄になるしかない。


特に何者かへの敵意が絡むとき。
その他方たる相手が関与することのできないところで糾弾してみても、発展する要素は無い。わざわざ同じモノを選って重ねても、ただ無駄に、無意味に硬化するだけで真実には近付かない。


吾輩は基本的に、自分がほぼ全面的に賛同していたとしても、ただ追従する言葉にしかならない場合それを発することにはかなり抵抗があったりする。
また自分の見解に対して積極的に同意を求めたくない。それは異論・異視点を慮ることを積極的に排除することのように思える。またそれに対して相手が異論の余地を投げ捨てて馴れ合ってしまったらそれは知性・理性の後退であろう。サンドバッグすら無いそんなところでただお追従を聞くよりは、できることなら味方にこそ、疑念がないか異論の余地が無いかどうかを問いたい。
相手のいないところで虚空を相手に構えてみせるよりも相手に備えた弾を込める作業のほうを優先したい。まあお追従はそもそもコミュニケーションのためのものだからまったく意味が無いとも思わないけど。