二回言うな

吾輩は、心理テストの類が嫌いである。
より正確には、普段目にするような心理チェックが嫌いである。


診断結果には一応もっともらしい理由付けがなされているけれど、殆どの場合それはそのような選択に辿り着く可能性のある数多の道筋の中の一つであるに過ぎない。基本的にこのようなものは沢山の設問を通した上でようやっと「傾向」が見付けられるかどうかという程度のものだと思う。
行動には様々な原因が考えられるのにそれ以外の可能性を無視して結論付ける事が厭なのだ。むしろその「運用のされ方」が嫌いなのやもしれない。


しかしひとつだけ、そんな吾輩も心底感服した言葉がある。
正確な言葉は定かでないしどこで読んだか聞いたかも覚えていないが、これは少なくとも吾輩には否定する事のできない内容であった。


『 同じ事を二度繰り返して言うのは完璧主義の表れである 』


吾輩にも、同じ事を二度言う癖がある。毎度毎度自分でも呆れるくらい、確認するように二度言ってからやっとそれに気付く。


吾輩はこの言葉に全くぐぅの音も出ないくらいどうしようもない完璧主義者なのである。
そして吾輩という人間の欠陥は、その原因の殆どをこの完璧主義が占めていると言ってもいい。


吾輩は完璧主義者であり、完璧主義者でしかない。完全な実行の伴う完璧超人ではない。

『完全を望むと麻痺が来る』とはチャーチルの言だが、これは完璧主義という病の問題点を実に端的に示している。完全を望むゆえに「完璧の要求」という鎖に身体を縛られ、身動きが取れなくなる。


そしてさらに完璧主義は「角を矯めて牛を殺す」のだ。
吾輩はサイトでもMIXIのプロフィールでもゼミ名簿の自己紹介欄でも、己の性格を示すものとしてこの言葉を使っている。己の求める理想形にそぐわないものは、たとい既に充分なものとして完成していても、その破壊さえ厭わずに力を込めてしまう。
望むままに完全であれ。さもなくば死ね。と。


二回言う、というのは、完璧主義の表れである。
別の理由で二度言う人もいるだろうが、吾輩の場合はまず間違いなく完璧主義によるものであろう。そうやって自分の言葉を世界に固着させようともがく、という過剰な指向が完璧主義的なのだろうか。


無論、大なり小なり、誰にだってそういう部分はあると思う。
しかし吾輩はそれがこのような極端な癖に現れるほど重い。
無意識のうちに繰り返していたと気付くたび、我が事ながら気味が悪くなるくらい。
そういう自覚がある。故に度し難い。


それでも「二回言うな」とは、実際に言われた事は無い。少なくとも吾輩は自分でも不快なのだが、周りの人はどう思っているのだろうか?
ただ、自分でそう思っていても、仮に他人からそう言われたとしても、いつも気付いたときには既に終わっているため直そうという気さえまったく起きない。実に始末が悪い。


と、書いたところで何の解決にもならないのだけれど。


かつて冨樫義博幽遊白書の単行本で「完璧主義者ゆえに部屋が散らかる」と言っていたのも、吾輩には実によく解るのだ。


実際散らかってるし。(をぃ)