ゆんちゅへ、怒りに沈む。

「ゆんちゅ〜お嬢様はご奉仕中〜」
吾輩の心を千々に乱し掻き立てる、Xuseの不可解な新作企画。
組長が毎号買っている「PC ANGEL」に、この新作について触れられている藤原将インタビューが載っているということで見てきた。3ページある中で最後のページの中ほどからこの新作について触れられている。


まず冒頭で「ゆんちゅ」の企画の登場について、

簡単にいうと、市場のニーズがあって、会社のGOサインが出た、ということです。

と述べられている。
会長FDのニーズは吾輩も強く持っている。
しかしこんな企画でのニーズは少なくとも吾輩は持っていない。
会社がGOサインを出した対象が何かはもうどうでもいい。問題はこの企画で既に作られ発表されていることだし。

シナリオライターとしては、「フローラリア」本編から二年前、その時代の由佳里は、どんな女の子だったのか?2年後に本編の性格となるには、どんな日々を過ごしてきたのかと考えて書いていくという仕事でした。

まあこれは企画がコレに決まった後の話だろう。
確かに2年前という設定にするなら逆算で2年前を考えることは必要な作業だと思う。でもそれだけである。


本編までどんな日々を過ごしてきたかというのは、何かの動きがあればあるほど当然に本編との剥離が進む「本編に繋がらないルート」の描写ではほとんど意味を持たないのではないか。日々の描写の下敷きとしての思案だとしても、住み込みメイドとして働かされることやそういう行為に及ぶことで日々の生活が根本的に変質しないはずがない。その時点で既に本編とは離れた別の道だ。
そして制約の塊である「フローラリアルート」というのが一体どういうものになるのか吾輩には皆目見当が付かないけれど、それはメイドをさせられた後の由佳里先輩が本編状態に至るまでの辻褄合わせをすることに限れば必要かもしれない。しかし11月21日分で書いたように「倒産・メイド」の時点で本編で行われたやりとりの意味が根幹から変わってしまうと考えるし、本編に繋がるルートでは「発泡」の「抜きゲー」として作ったという「ゆんちゅ」でありながら2年後に繋がる清い日々を中身としてしっかり描くとでもいうのか?


で、そもそも由佳里先輩の本編の性格に近年で一番強い影響を与えたのは橘洋介ではないのか、と思う。吾輩がよく「由佳里先輩はツンデレではない」と言ってる理由もそこだ。
主人公キャラクター「橘洋介」の学園生活全体から見れば由佳里先輩の存在と関係の遍歴はツンデレであろうが、フローラリア本編の由佳里先輩はツンデレどころかゆんデレという感じで既にほぼ完全に出来上がってしまっている。


洋介以前の性格形成の最大の要因は小さい頃に「ガリ勉ブス」と呼ばれたことへのコンプレックスであって、この一・二年に始まったことではない筈だ。現に本編で同じ三年生のクラスメイトが由佳里に連れられた後輩の洋介を不憫だと見ていた。それがフローラリアプラス後日談の時点では茂が同様の考えを改めているほどの完全な“変化”になっている。
そして本編の最後で他人の目に明らかに見えるようになったにしても本編の一ヶ月はある意味最後の一押しであり、この二年のうち一年における洋介の「布石」こそが本編の会長に至る最大の基盤であると吾輩は考える。その最大要因を排除しておいてフローラリア本編との接合を云々するということがまずもって不可解。

「ゆんちゅ」などの「フローラリア」という元ありきという作品は、前を踏まえた上でエッチ重視の派生を作る…という条件の枠があるんですよね。
そこで詩乃先生では「とっかえひっかえのエッチ」憂ちゃんでは「新婚生活でのマンツーマンのエッチの掘り下げ」を追求してみたんです。
じゃあ、今回の由佳里はどうするのか?ここからは理詰めの思考になっていくんですよ。彼女は性格的にエッチまみれにはならないだろう…それじゃあ、エッチしなければならない環境に置いてやろうって考えたんです。

まあ環境を作るのは必要だろう。
でもそのために本編の持ち味である洋介絡みのデレ関係を安易に叩き切ってどうするのだ?
後日談でもエッチ重視にしたければそのシーンを重点的に拾っていくとかいった対応はできないのか?
「前を踏まえて」ってコレが本編の何を踏まえているのか知らないが、吾輩は本編で見たものを踏まえてその先を見たいのだ。本編で見たものを奪われて過去を弄られるなんて冗談ではない。「創造と妄想で未来を切り拓くXuseが聞いて呆れる。
隅のラフ画の横にも「▼2年後の『フローラリア』へと続く由佳里の歴史を紡ぐ。それが『ゆんちゅ』の現在なのだ」と書いてあるが、これは編集者の注釈なのか否か。
PUSH!の記事でも同様のことが書いてあったからには、これがXuseと藤原の意思と見ていいのか。「それじゃあエッチしなければならない状況に置いてやろう」と今になって考えた「抜きゲー」が4年前に完成したフローラリアのヒロイン・由佳里先輩の歴史だと言いたいのか。

またマンツーマンではネタが途切れる、多人数すぎるとただの好き者になってしまう。ならば今回は3Pメインの作品にしよう!!という風に組み立てていきました。

まず「好き者になってしまう」という発想のしかたに困惑する。「なってしまう」じゃないだろ。本来ならそんなことは考える必要がないはずなのに。
結局いじくり回してるんじゃないか。
元ありきのキャラクタフィーチャーものなのに、シチュエーションの都合でキャラをいじってどうするんだ。
元のままが無理なんだったら最初から由佳里先輩を使うな。動かせないからこそ枷になる原作の性格なんだろう。だから後日談を希望していた。普通それ以外の方法は取りようがないから。
どうしてもエロ地獄にしたければ問答無用の陵辱モノにでもしてしまえばいい。
キャラを維持しても強引な展開が可能だし、それなら違う切り口でまた意味のあるものになる。


そして「ならば3Pにしよう」って、結局理由はそれだけなのか。
マンツーマンではネタが途切れる?憂ちゃんの新妻だいありーはそれをフルプライスで作ったじゃないか。
会長にも母はいるし場合によっては関連の深い詩乃先生だっている。


それからインタビューはこのような言葉で締められた。

ただユーザーのみなさんに「藤原将がシナリオを書いたものなら安心して買える」と思ってもらえるようなモノを作ろうと日々模索しております。これからも、エロい・かわいい・楽しいなど、すべてにおいてハズしたりしないように頑張ります。

「ユーザーのみなさん」のうち一人として言うが、企画の時点で吾輩にとってはハズし尽くしている。
まあ仮にこの「お嬢様はご奉仕中」の企画でメインキャラの名前が三ノ宮由佳里でなく、このまさはる絵で、しかも大城恭子の声で、あとフタナリが無かったとしたら吾輩は迷いなくこのゲームを喜んで買っていたと思う。


しかしこれを「三ノ宮由佳里」モノとして発表されれば当惑せざるを得ないし、派生でこんなことをされるなんて思ったら今後のゲームも安心して買えない。二の足を踏む。もうこれではXuseと藤原将が信頼できないから。


こうして見てきた「PUSH!」のインタビューにしても「PC ANGEL」のインタビューにしても「ゆんちゅ」に関してくどいくらいにやたらと「濃いエッチ」「濃いエッチ」「濃いエッチ」「濃いエッチ」「濃いエッチ」という強調をしているのだけど、そもそも「濃い」とは何なのか。
種類?時間?回数?人数?
それは本当にコレで無ければ出来ないのか?
エッチ重視なのはいい。しかし、わざわざ「フローラリア」から三ノ宮由佳里というキャラを持ってきて使うのならば、エロを出発点にしてキャラを動かすのではなく、キャラを最大限に生かした上での濃いエロを追求しなければらなかったと吾輩は断じる。
これらのインタビューを読んで、今の情報を解釈する限りで、吾輩はこの「ゆんちゅ〜お嬢様はご奉仕中〜」については買わない予定を立てるに至った。




吾輩が会長FDに対して、濃いエッチより会長ママンとの母娘丼より何よりも最も強く強く期待していたことは、「フローラリアプラスの最後に示されたフラグである“由佳里先輩のお弁当”イベントを見たい」ということ、ただそれに尽きたのに…