どちらがよいとも言い難い。

diktator2006-11-16

KBS京都 乙女はお姉さまに恋してる

第06話「夏の日の狂想曲」

単純にサービス回というわけにもいかないプール話。
「女の子の日」を言い訳に使う瑞穂きゅんが輪郭線までぎこちなくなってるのは面白いし、紫苑さまの誤信号と満を持しての“くずおれる瑞穂お姉さま”イベント投入もあって良し。
そしてこのアニメに於いてプールの処理をどうするのかというのがおそらく一番問題になるところだと思っていたのだけど、結論としては原作の憑依設定を切ってまったく別のイベントを投入することにした模様。


去年ゲーム本編についての感想でも書いたが原作でここを乗り切るために出てきた一子が憑依すると一時的に女体化するという設定は、荒唐無稽でご都合主義的なだけではなく「女装潜入モノの舞台設定や世界観そのものを根幹から台無しにしてしまう」点で一番やってはいけないことだったと考えるのでこれを回避したのはまあ妥当だと思う。単にここだけ唐突で明らかに話から浮いてる(これには上記の理由も絡んでいるけど)とか年齢制限抜きメディアにおいて女体化表現が難しかったというだけなのやもしれないが。


それで吾輩としては理由がなんにせよ原作における細大の欠点がアニメで回避されたということは評価したいのだが、こちらはこちらでまた別の問題があるように思う。今回そこを別の話に持って行った結果として代わりに「瑞穂お姉さまが“出来ない”水泳を避けるために嘘をついていた」という話がそのまま少なくとも会長のところでは残り、特に会長に対してエピローグの後日談は一見大団円のような体裁をとりつつもその実“やむを得なかった最低限度”をわざわざ作為として逸脱した「嘘の上塗り」であり、まりやとの対決で会長が示した努力への背信そのものではなかろうか。
特に紫苑さまルート濃厚で次点として会長がありうるか、という状況にあってこのような筋になっているのはいただけないし、最終的にどちらにするのがよかったとも言い難い。




……ところで、冒頭で瑞穂きゅんは部屋で水着の試着をしていたけれどこれは一子とまりやの目の前で着替えていたということなのかしらw