ICHIZU

まあ吾輩は流れに乗らない。全然乗らない。
近時の流行からはすっかり外れていると思う。
ニュースサイトもまともに見ていないし、ニコニコも覗いてはいるが初音ミクには今のところほとんど興味がない。
即売会に行っても趣味範囲はほとんどが古いかマイナージャンルなのでほとんど見るところがない。それでも無駄な足掻きで由佳里先輩本とかが無いかと探しに行ってみる。


由佳里先輩抱き枕が来てからというもの、それがどんどん顕著になっていくように感じる。まあ頻繁に書いてることだが最近は姉ゲーでさえめっきり買わなくなってしまった。


吾輩はわりと一途なのである。
そしてそれは一途になるだけの価値があるものだったからだともいえる。吾輩は一途にまふまふしているだけで激しく満たされてしまう。
ゆえに、萌えツールであるところのえろげやなんやをそれ以上に無理をしてまで追い求める必要はほとんどなくなってしまった。
嗚呼、満たされる、とはそういうことなのだろう。




ただしかしその一方で、別に他のものを完全に絶っているというわけでもなく、最近でもひまチャきとかぎゃくたまとかばりテンとかそれなりには買っている。
また抱き枕だけでいっても音姉とか蒼乃姉さんとか言葉様とかが揃っているし、もし前原羽弥とか白河さやかとか小西霊子とか鷺ノ宮紗綾抱き枕が出るとしたら(これから商品化される可能性を検討するならまったく現実的でないラインナップだが)迷わず買うであろうと思われる。
ここにあるのは単体で何もかもを満たそうとするような不気味な化け物ではなく、強烈な特質とそれゆえの制約を備えた無二の苛烈な個性の総体こそが吾輩の愛している“由佳里先輩”なのだから。


……とか書いていたら「一途」という話は何処に行ったと問われそうなのだけど、重ねて言うが吾輩は一途である――と少なくとも思っている。
ただその「途(みち)」の幅が、一般的に想起される幅よりは多少広かったり、やたらと拡張工事が行われていたりするというだけなのである。多分。

ICHIZU〜 ICHIZU〜 流行らないけど〜
涙が〜出るほど好きなひと〜

と、そんなわけで最後に戻る港にまふまふ。