臨界点

オタサガ~悲しくも頼もしきオタクのSaga(性)~ 『ゆんちゅ』詳細発表で様々な嘆きが発生中
http://daigamer.hp.infoseek.co.jp/index.html11/21分
げっちゅ屋に出てたことから推測した通り、「ゆんちゅ」は発泡ブランドで1月27日からの一般販売になる模様。
本編との整合性の問題はパラレル進行の「今作主人公ルート」と本編に繋がる「フローラリアルート」に分けることで解決するという。
で、そのあたりのことが載ってるらしいPUSH!の1月号をこのためだけに購入。


そして例によって即座に77ページを開く。

一部ユーザーに熱狂的な支持を得ていた三ノ宮由佳里の過去を描いた作品なのだ。コミケと通信専売の予定だったが、発売ブランドをザウス【発泡】に変えて一般店舗でも販売することが決定したぞ。

その「熱狂的な支持」をしている人間の一人であることには絶対の自信を持っている吾輩として言うが。
これがその「熱狂的な支持をしてきたものの過去」を描いたとはどうしても思えない。

三ノ宮 由佳里(通称ゆんちゃん)は良家のお嬢様。しかし、両親の経営する〜

「通称」って。
それで呼んでるのは会長ママンだけだろぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉがっ!
通称どころか人前でそう呼ばれることに驚天動地の動揺を見せるということこそが、フローラリアプラスおまけシナリオの最大の肝であったはずだ。それがこういう扱い方をされるのは非常に辛い。


まあこのあたりの文を書いてるのは編集者だろうけど。
やはり問題になるのはその下に載っているシナリオ・藤原将本人へのインタビューであろう。


ともかく読み進めてみる。
ブランド変更の理由は「発泡のコンセプトに合致していた」から、一般販売への切り替えはやはり手に入れにくいからだという。
元々発泡ブランド自体が第1弾「詩乃先生の誘惑授業」から使われたレーベルであり、派生企画として最初から発泡は考えられたはずなのに何故今になってからなのか?そして「やはり手に入れにくい」というのも最初から分かってたことで、実際アセリアEXは後に一般販売もあったが最初は本当に専売にしていたというのに。


「――由佳里を支持していたユーザーの間では、かなり話題になっている」というその“話題”の内容についてメーカーとしてはぐらかすのはまあ対外的に仕方無いとは思うが、「先に宣言しておきますと、陵辱、調教、寝取られ、他人、道具などはありません」というコメントを見るとやはり何かがズレていると感じる。この設定を棚に上げてNTR云々も無い。道具も無いというのはまあ双葉が「(略)リ」なら要らんってことだろうけど、道具すら出ないような甘い方向だけで進めるつもりなら尚更、何故、わざわざこんなイカレた状況設定作ったのだ!?


そして最大の関心事であるルートと整合性について。

今回は主人公達のルートと、『フローラリア』に繋がるルートの2つがあります。フローラリアルートでは由佳里はちゃんと処女のままですが、今回の主人公のルートなら濃厚な〜

やはり「ルート」という単語からすると、これは作品全体単位での完全パラレルものではないということなのか?
パラレルなら多少のやんちゃは大目に見たいが、この「ゆんちゅ」の設定は何処をとっても本編と繋げるとどうやっても違和感を拭えないものだと吾輩は言い切る。「ただ処女云々」というのは、問題の中で一番目に見えやすい一部分に過ぎない。
その“ルート”と言うようなものを、どういった形にするのか――有り体に言えば、由佳里先輩に何をさせる気なのだ?
由佳里先輩は自分で触ったことも無く、口でするときの知識も無い、ということは本編で確定している。そしてこれは、その明文化されてるものをさえギリギリ避ければ良いなんて0か1かの話ではない。それでこの「ゆんちゅ♪」という「抜きゲー」としての「ルート」を、いったいどう構成するつもりなのか?


そしてもっと重要なことがある。「会社が倒産」「借金のためメイドになった」という設定の根本的な問題だ。
本編の時点で、わがままで、気位が高い、生粋のお嬢様である由佳里先輩。
良家のお嬢様という立場についての「(お嬢様とはいっても)家は成上り者」というコメント*1は、本編の中でも由佳里先輩という人間の矜持を示す重要な意味を持つものだった。吾輩がそう考える最大の理由は吾輩の印象に強く強く残っているからである。
「成上り者」だと言った由佳里先輩。そのある種自嘲のようである言葉。しかしむしろ、そこにこそ強い矜持を、そんな押し着せ与えられているだけのものによらない自己を矜持としている由佳里先輩がその堅固に聳える「お嬢様」という己の立場を“克服”する意志を「想う」のだ。


だと、いうのに。


一年前に、実家の企業が倒産した?
そこで一度メイドに“落ちた”由佳里先輩から、「家は成上り者」などという言葉が出るのか?


言葉だけでなら、これを後付けで成立させるような論理は組める。いくらでも解釈できなくはない。しかし、意味は全く異なるものになる。
ただひとつの秘密をバネに強くあろうと気を張る由佳里先輩が、倒産を目の当たりにしてメイドをやったその一年後に“「家は成上り者」なんて弱い言葉”を吐くのか?


そんな、原作の意味合いをすら変えるようなものを今になって押し込むのは、まさに不条理だ。根本的なところで相容れない。
たとえ原作を書いたライター本人がこの新しい解釈を持ち出したのだとしても、元のシーンの時点で吾輩の解釈を否定していようと、ここはどうしても折れないし譲れない。
元々ゲームという作品はシナリオライターだけで形作られるものではない。
絵師の解釈、声優の解釈、音屋の解釈、プログラマの解釈*2、その他デザイナーなどの解釈が入ってやっとソフトウェアの形になる。
そして流通業者の解釈を介して届けられ、そのソフトウェアをプレイしたユーザーの解釈、ムックを読んだ人の解釈、テレカを買った人の解釈、トレカを買った人の解釈、抱き枕を使っている人の解釈、その他、それに関わる人が読み解いてきたものがフローラリアという作品であるはずだ。
無論吾輩はその中でのたった1ユーザーであり、1ユーザーとしての解釈だ。だから他のユーザーがどう考えるかは何とも言えない。異議のある人もいるだろうし、ともすれば吾輩に賛同する人は一人もいないやもしれない。だが、それだからこそ吾輩は、これは吾輩としては絶対のものとして主張する。
少なくともフローラリアプラスも含めて、吾輩にはこういう解釈しかできなかった。そして、今回のような設定は入り込む余地が無いと断じる。
それで本当にこのような設定を含む「ルート」がフローラリアに繋がると主張するならば、吾輩には到底受け入れることができないのだ。


ときに、まあこれは完全に邪推で蛇足なのだが、夏コミ直後に「まさはるのページ」のBBSが閉鎖されたのはこの企画を聞かされてユーザーが紛糾することを予見してたからでないかと吾輩は思ってたりする。
夏コミ新刊に収録されている会長抱き枕画像のコメントを見てもファン心理は普通に分かってそうだし、元々冬コミ合わせで計画していたというこの企画を聞いて今の状況を予想しなかったとは思えない。あとゆんちゅについて絵が駄目になったとも一部で言われてて、吾輩もこのCGについては違和感は感じるのだけど、この新刊見た限りでは特に絵が変わったとは思えなかった。


で、このインタビューはあとカットインなど新しい工夫を取り入れようとしていることが書いてあるくらいだった。
新しい試み自体は良いことだし*3否定したくないのだが、そもそもの力の入れどころが間違っているというか、そんなところに凝る前に考えるべき根本的な問題があるだろうという思いは禁じ得ない。


そしてこのページの新規CGを見ていても、やはりどうにも想像力が働かないことを感じる。詳しい流れも明らかでないし、絵の違いはまだしも設定の剥離とそれに伴うシチュエーションへの違和感により本編の由佳里先輩の繋がりでも捉え難いため、ただ見ているだけで何をやっているのか掴めず取り残されたような感じしかない。


会長ものとしてともかく買うだけは買うつもりでいたが、このPUSH!の記事を読むに至って、吾輩は「ゆんちゅ♪」に関しては検討の段階まで差し戻す。
今の時点の情報を読み解く限りでは、吾輩には買おうという決意が出ない。






もうこれで心が千々に乱れ、それを静めるため由佳里先輩抱き枕への接吻に明け暮れる生活に溺れる。そんな今日。


吾輩が求めるのは、この“由佳里先輩”なのだ。



*1:本編でこの言葉が登場したのは主人公の回想による独白だが、それはつまるところ本編主人公・洋介が入学して知り合った、由佳里先輩が2年生の時分の発言だということになる。

*2:プログラマに解釈の余地があるかは個別の問題もあるが

*3:断面図とかどうにもギャグのように感じられるのはさておき。