脳内とか

読売夕刊にまた「本田透のキャラ読み!」が載っているのを発見。
前回の記事がどうにも腑に落ちない内容だったためちと懐疑的なイメージがあったものの、今回は前回に比べてキャラという観点からの把握としては普通に見られる内容だと思える。
…のはいいのだけど、ここから喪男についての論をぶち上げ始めたところでまたよく分からなくなった。
脳内で記憶を際限なく理想化してしまったため眼前に本人がいてもそれと気付かない少女郁に対して、夢を壊さないよう耐え忍ぶ男。彼を喪男と呼び、喪男の恋とは萌えて忍ぶことだと言う、その「喪男」の定義がまず掴み難い。そして元々恋愛は脳内イメージで行うものだという説明があった後で、彼の哀れさについて『郁に「いつまでも夢見るな、いいかげん目を覚ませ」と説教したいですよ!』と言って締め括るのはどういう意味なのか。場合によってはそれこそ郁は己の脳内イメージに“萌え”てればいいのではないかという見方さえできないことはない。
記憶の中の王子様を美化しすぎた郁が“目を覚ます”ことというのは脳内イメージを捨てて彼と付き合えということなのか、それとも彼に負わせることを止めて脳内イメージと認めたうえで萌え暮らせということなのか……と思案してたら釈然としない理由が分かった。前の「容疑者Xの献身」のときもそうだったが、「現実の女性に恋をせず秋葉に行って二次元キャラに萌えろ」とか「脳内イメージを美化した夢を見続けず目を覚まして事実を見ろ」というキャラ当人に対する(その作者に対するものではない)主張・文句は「そうしていなかったことの結果」の否定ではあるが、それは読んでないと全く分からない「そうしていなかった理由」の是非の検討も「その結果からの回復の可能性」への言及も無いままでただ投げっぱなしなのだ。だからこの部分はチラシの裏にしか見えなくなってしまう。


あとどうでもいいが同じ頁の週間ベストセラーで6位がメガミ文庫魔法少女リリカルなのはだったのには噴いた。