アキハバラ解放デモに関する古鳥羽護氏の記事

このアキバデモ及び主催者の問題について、吾輩はあまり積極的に首を突っ込むつもりはなかったので長いこと静観していたのだけど。
古鳥羽護氏がこのアキバデモの問題について書いた雑誌記事を読むに至り色々と思うところがあったので、この記事の内容の検討を中心にアキバデモ関係の批判や事件のこれまでの経緯について吾輩の立場からコメントしてみたい。
この古鳥羽氏の記事は「紙の爆弾」という雑誌に掲載されている4ページほどの内容で、4ページ目の下段から5ページ目までにかけてはゲームラボ誌でこのアキバデモ関連の事案に言及していた斉藤環先生のコメントが入っている。
しかしあまりにも雑でどこから突っ込んだらいいのかよく分からない内容だったためとりあえず目についたところを順番に解体していたらひどく長くなったので畳む。


というわけでひとつひとつ引用してコメントしてみる。

ところが、後日ネットを見ると彼らがコミケでテロを起こしたと騒がれています。
 驚いて否定し、取材を始めたのですが、冷静さを欠いていました。アンケートを批判派諸氏に送る際に、デモを最初から批判してきたplummet氏と、デモを支持して主催者を批判しているinumash氏を混同してしまい、却って火に油を注いでしまったのです。

細かいことだけど、まずここは否定が早すぎるというか、「驚いて情報を集める/取材する」前の段階なのに、いったい何を否定したのかわからない。
http://blog.goo.ne.jp/kotoba_mamoru/e/6d6e1a47374a27c75fed6c38e335411d
特に古鳥羽氏が当初ブログのエントリで行った「事件の否定」には、事件とされるものの日付を誤解していることによる的外れな部分が、全てとは言わないが極めて多い。既にそのように不安定な状態にある「否定」についての言及としてはあまりにも緊張感に欠けていると思える。
さらに言えば、いきなり核心になるけどそもそもこの記事は全体的に、古鳥羽氏が具体的に「誰」の「何」を批判しているのかがほとんど分からない。


あと呆れられた理由は単なる間違いのみならず、JSF氏から「plummet氏に送ってない」と指摘されたにもかかわらず、再確認もせずに「私はplummet氏とinumsh氏が同一人物だと認識しております」と返信した態度にあると思う。少なくとも吾輩はそこで呆れたし、その時点で検証能力も疑問視せざるを得なかった。(もっとも吾輩はアンケートを送られていないので直接関係ないけど。)
http://obiekt.seesaa.net/article/53459600.html

> 肝心のplummet氏に送ってないそうですね。
> そういうことでしたら、私が回答する必要は無いと判断します。

 私はplummet氏とinumsh氏が同一人物だと認識しておりますので、inumsh氏にアンケートをお送りいたしましたし、既にinumsh氏からの回答をいただいております。

 また、私はJSF様の見解を知りたいと思いますので、よろしければお答えいただきたくお願いします。

JSF氏のブログ「週刊オブイェクト」において公開されているその返信内容を見る限り、単に別名と考えるなら「○○のinumsh名義に確かに送っている」と書けば済むところに「同一人物だと認識」という表現をとること自体も不自然で、「同一人物“と認識”」とわざわざ言及対象にするところまでいきながら検証をしないほど軽んじた態度で取材をすると言われても説得力に欠ける。まして今になってみるとこのアンケートの返答がこのような偏向した(と少なくとも吾輩には感じられるからこのエントリを書き始めている)記事の材料に使われていたということからも、懐疑的になるのはおかしなことではなかったと思われる。


あと、あくまでこれは邪推であり蛇足であることをあらかじめことわった上で言うと、inumash氏がJSF氏らと接近し情報交換を行ったと明らかになった後であることから、inumash氏を批判派と認識して「別の人物と名乗っているが本当は同一人物が擁護側に潜伏(or自演)していたんだ!」と古鳥羽氏が思い込んでいたのではないかという可能性だって考えられる。前提として致命的なまでの分析・確認能力の欠如がなければ起こり得ないことだけど、もとより古鳥羽氏の説明した内容自体が分析・確認能力の欠如を前提にしないと成立しない。
いや繰り返すけれどこれはもちろん十分な根拠もない邪推にすぎず、これが事実だと主張する気はさらさら無い。しかし吾輩は古鳥羽氏の説明で完全に納得してはいないし信用しきれてもいない。別にその証明を求める気はないが、吾輩が言いたいのは、上記の発言と態度はこのような疑いを捨てきれない程に「不可解」で「酷い」ものだと少なくとも吾輩の目には映った、ということ。

「アキバデモ」が「中核派」と関係しているとしてブログが炎上、さらに、八月に開催されたコミケで「デモ反対派に対して襲撃を行う」などという情報が飛び交い、ネット上の一大事件となった。
この騒動の背景には、以前からアキバデモを快く思わない反対派ブロガーたちが事実無根の中傷や個人攻撃に当たる記事を書き立てていて、デモ主催者たちが苛立っていたという事実がある。

>八月に開催されたコミケで「デモ反対派に対して襲撃を行う」などという情報が飛び交い、ネット上の一大事件となった。
えーと、事件が起こったのはコミケ一日目であり、plummet氏に届けられた流出ログがネット上に「公開」されたのは二日目の夜。ネット上の一大事件というからには公開後、つまり既に事件後であり「襲撃を行う」ではなく「襲撃が行われた」ではなかろうか。
これは単に「阪真、5-3で宙日を下す!」という新聞の見出し的な書き方をしただけで過去表現の情報なのか、それとも「主催者が反対派に明日(三日目)のコミケで襲撃を行う」という誤った情報が飛び交ったのか、コミケ会場で「“反対派に襲撃を行うという(これも時系列からいえば誤っているはず)情報”が飛び交っていた」のか、「」のつけ方の問題もあってよく分からない。
吾輩はずっと経緯だけは見てきたし、本来文脈読めば括弧や句読点のひとつふたつは些細な問題のはずなのだけど、ここで読解にひどく悩まされる理由は、古鳥羽氏の記事がこの部分に限らず「具体的な事実」をほとんど示していないことにあると思う。


この“ネット上で起きた”一大事件とはそもそも具体的に何を指しているのか。非公開コミュのログが公開されたことなのか、公開する前にplummet氏が関係者に連絡していたことなのか、テロと表記されたことなのか、事件の首謀者が批判されたことなのか。


「この騒動の背景〜」という繋ぎから考えると「苛立って」起きたこと、すなわちコミケの事件=騒動になるが、これは「ネット上で起きた」事件ではない。
逆から見てみた場合「ネット上の一大事件」の原因が「主催者が苛立っていたこと」になり、これを無理矢理組み立てると「主催者が苛立つと襲撃情報が飛び交う」となる。
「主催者が苛立つ→過激なことを書く→あまりのことに見かねた人がplummet氏に知らせる→警戒して関係者に情報を流す(これがネット上の事件?)→苛立っている主催者は実際にその通りのことを起こす→ログが公にされて情報が流れる(それともこちらが事件?)」となれば一応成立しないこともないが、それだと結局主催者たちの起こしたことがネット上の騒動の原因である(つまり主催者の自業自得)というだけの説明で終わってしまう。
まあ吾輩とてそれが古鳥羽氏の意図だとは思っていないのだけど、文章として解体するとこのようになってしまう。


で。結論から言えば。
「苛立った」→「主催者が問題行動を起こした」→「情報が飛び交った」
要するにこの真ん中にあたるものを「明確な言葉としてできるだけ書きたくなかった」のではなかろうか。文章として必要なところからも削除してしまっているため不自然な文章になっているのだと思う。古鳥羽氏が意図してやったのか、擁護したいあまり無意識のうちに省略したのか、編集段階で削られたのか、あるいはそうではなく本当に偶然で抜け落ちたのかは知らないが、それによって解読読解が困難になった意味の分からない批判を一方的に投げかけられる側はたまったものではない。


そしてこの文章では「苛立っていた」と並んで、さらっと「アキバデモを快く思わない反対派ブロガーたちが事実無根の中傷や個人攻撃に当たる記事を書き立てて」いたということが事実であると言い切られてしまっている。
またこれについては後の方にも記述が見られる。

また、「テロ被害者」の「神聖マルチ王国」らが流布した「企画立案者のSyuu-Chan氏は中核派シンパだ」という噂や「中核派がデモを主催している」という噂は完全に虚偽である。

まず「流布した」「噂」という表現が不可解である。
その「噂」とは具体的に「何処」で「どのように流通している」ものなのか?そして「流布した」とは「誰」の「どういった行為」を指すのか?
とりあえず『「テロ被害者」の「神聖マルチ王国」』ブログで「中核派」を検索してみたところ、発端と思しき6月30日の記事で書いてあったことは、主催者の一人である古澤克大氏本人が自身のブログに「中核派の人間との交友」を明確に記述しているところを引用したうえでの「中核派との接触を公言しているのが非常に気になります。」というコメントであり、これは「事実無根」どころか「事実の指摘と感想(気になる)」でしかない。他の部分でも吾輩としては問題があると思える部分は見当たらなかった。また「Syuu」に至っては一件もヒットしなかった。
そこにあって古鳥羽氏の言う「神聖マルチ王国」らの『「事実無根の中傷や個人攻撃に当たる記事」を書きたてた』とか『「企画立案者のSyuu-Chan氏は中核派シンパだ」という噂や「中核派がデモを主催している」という噂を「流布した」』という行為とは具体的に何なのか?そもそも“反対派ブロガーたち”や“「神聖マルチ王国」ら”の範囲がどこからどこまでなのかも分からない。
評価の仕方や感想が個人でいくばくか異なることはあるかもしれないが、「神聖マルチ王国」は上記のようにきちんとその判断の元となる情報を明らかにしている。つまり検証可能な形で根拠を提示している。根拠を示せばそこからどんな飛躍したことを言ってもいいとは思わないが、少なくともその論の展開への異論を言及することもなしに「事実無根」呼ばわりするのは乱暴にも程がある。
そしてこの記事の範囲では具体的な内容がほとんど説明されていない。これでは古鳥羽氏が書きたてたことこそ事実無根の誹謗中傷ではなかろうか。

主催者内部も混乱している中、主催者側のmixiの公開コミュニティーで、批判者を排除するなどの行為があり、「言論弾圧」との謗りを受けることになってしまったのは事実。
「炎上」への対応方針を巡る対立から、コミケの前に古澤氏が脱退しているが、彼が独断で批判側との接触を持ったことも原因だと言われている。

革命的非モテ同盟」を率いる彼と同人誌を書いているinumash氏は、回答の中で「人格的に問題を抱えている人間が多かった」と指摘した。すでに敵意と不信が主催者内部を蝕んでいたことが伺える。

そして古鳥羽氏の記事における記述には、また偏った傾向がある。前述の「〜中傷や個人攻撃に当たる記事を書き立てていて、デモ主催者たちが苛立っていたという事実がある。」というのも含めて、まあ一見して「一々言い訳くさくて不快である」という感想は出せるのだけど、これらがどうして気持ち悪く感じられるのかというと「純粋な事実を伝えようとしていない、怯えの見える文章」だからだと思う。


どういうことかというと、ここで出てきた「撮影」「強制退会」「inumash氏の発言内容」といった事実はその存在を論ずるのに主観も判断も入り込む余地がない“客観的に観測できる独立した事象”であるのに古鳥羽氏のこの記事においてはそれを純粋に提示することをせず、主催者の失態である客観的事実に一々「苛立ち」「誹謗中傷」「混乱」「敵意と不信」「蝕んでいた」といった“主観的で曖昧なエクスキューズ”を塗りつけた上でその境目を曖昧にしている。

「人格的に問題を抱える人間が多かった」と指摘した。すでに敵意と不信が主催者内部を蝕んでいたことが伺える。

たとえばこれについて古鳥羽氏の考えを追ってみる。
『すでに敵意と不信が主催者内部を蝕んでいたことが伺える。』とは直前の事象、つまり『「人格的に問題を抱える人間が多かった」と指摘した。』ことを観測した結論である。

つまり「人格的に問題を抱えている人間が多かった」という指摘は敵意と不信が主催者内部を蝕んでいなければありえない。

逆から言えば「主催者内部を敵意と不信が蝕んだ」異常な状況でなければ「人格的に問題を抱えている人間が多かった」と指摘するはずがない。

inumash氏の「人格的に問題を抱えている人間が多かった」という指摘は正しいものではない。敵意と不信に蝕まれて発言してしまったものである。


これが古鳥羽氏の考えであり、この文はそれを前提・揺るがない事実として書いていることになる。客観的に観測できる事実に、さも当然のように自分の主観を塗りつけて中身を否定までしてしまっている。

私個人の特定を恐れて今まで触れなかったのだが、八月十九日のコミケ(三日目)ではデモ反対派側がソニー製のICレコーダーを持って、アキバデモ主催者のブースを訪れ、押し問答を行っている。迷惑行為ではあるが、これも「テロ」だろうか?

ソニー製のICレコーダー」を持ってアキバデモ主催のブースを訪れたデモ反対派とは具体的に誰なのか?
とりあえず「早稲田の論客」氏が直接赴いて話をしたという話は見た憶えがあるのだけど、その際の早稲田の論客氏の報告と合わせると不可解な点がある。

「こっちこそブロック担当者よべ! お前は帰れ!
手に何もってやがる! 録音するんじゃねー!!」(←言いがかり)

現に論客氏はこのように記述していた。この記述はmixiにおける関連スレッドだけでなく、冷静さを失う原因になったという当のやまざき氏のブログの、それもいわゆるコミケテロ事件直後の関連エントリにも転載されており、「やまざき氏」と「ブースを訪れた反対派」そして「コミケテロ事件」のすべてに言及している古鳥羽氏がこれを知らないのはおかしい。冷静さを失ったといっても冷静さを失ったまま記事を書いてよいはずもないのだから。
まあこれだけでは「手に何がしかの録音できる物を持っている」ことと「録音していること」のどちらを否定しているのか定かではないから、ICレコーダーを持っていないと主張しているとは限らない。しかし「ICレコーダー」という録音機器にわざわざ言及しておいて、その用途を否定した発言を無視するのはどちらにしてもおかしいと言わざるを得ない。
もし早稲田の論客氏でないのなら、その「反対派」とは誰なのか?


あともうひとつ分からないのが「私個人の特定を恐れて今まで触れなかった」という発言と「ソニー製のICレコーダー」と断言していることの二点。ICレコーダーについては相手に誤解されている描写があるのでそこから誤って伝わった可能性も考えられるが、古鳥羽氏はこれを疑いなく明確に事実として記述している。
この二つを考え合わせると、古鳥羽氏が実際にそれを近くで見ており、「押し問答」の相手から見える位置にいたということのように思われる。しかしこれは古鳥羽氏が過去に事件の存在を否定するエントリで述べた内容と突き合わせるとこれまた不可解なように思える。
http://blog.goo.ne.jp/kotoba_mamoru/e/6d6e1a47374a27c75fed6c38e335411d

私が顔を出す前に、他の出展者とのトラブルや小競り合いがあったのかもしれませんが、警察沙汰になったり、コミケ準備会で問題になるような事案になっていたのだとしたら、どうしてこの様に、平穏な形で撤収できたのでしょうか?
さて、私がブースを離れてコスプレ会場に居る間に、アキバデモのブースでは警察や準備会の人からの、キツイお説教があったり、周囲の政治系サークルとのイザコザが起こっていたりしたのでしょうか?

「押し問答」「迷惑行為」とまで認識できるものを三日目当日に見ていたとしたら「周囲の政治系サークルとのイザコザが起こっていたりしたのでしょうか?」という発言は出てくるはずがない。
実際にその場に居なかったとすれば「私個人の特定を恐れて」いたというのはいったいどのような理由でなのか?
結局のところ古鳥羽氏はいつどのような確証を得てこう記述したのか、ここでもまた具体的な内容が述べられていない。

[不穏当な出来事だが「テロ」なのか?]
コミケの歴史を見渡すと、トラブルは珍しいことではない。コミケ準備会は、仲が悪い大手サークル同士が隣り合わないようにするなど工夫しているが、それでもトラブルが何件かはあったと言われている。
「こんなのをテロと言われてもねぇ……」
と、ある女性コミケ参加者は言う。

主催者側の少年が相手を無断で撮影しようとしたことはコミケガイドラインに反する。私だって写真は怖い。しかし、それでもコミケ準備会から見れば、当事者間での解決を促す性質のものだったのだ。

多かろうと少なかろうとテロであればテロだし、トラブルと一言に言っても内容や経緯が異なることは改めて指摘するまでもない。
あの流出ログの内容と、現にオタクの大きな拠り所のひとつであるはずのコミケにおいてルール違反を辞さなかった事実を見れば、テロと呼ぶ人がいても仕方がないだろうな。と、コミケ参加暦のある吾輩は言っておく。
しかしそんな一個人の単なる主観的発言(その女性に関しては流出ログの内容などを把握している人なのかも不明。そもそも何らかの関心を寄せている人以外はあんなもの見ないだろうし、吾輩もあまり積極的に友人知人に見せたいとも思わない。)はあまり意味を持たないと思う。それよりもJSF氏なりplummet氏なりその表記をした人に妥当性をどう考えるか問うた方が余程良かったのではなかろうか。
件のアンケート以外にどれだけの取材をして書いたのか知らないが、批判している相手の主張を踏まえた上で書かなければあまり意味が無い。
そして結局のところここは何を主張したいのかが分からない。事実は事実、主張は主張として、混同するのはいけないが両方きちんと明示してもらいたい。「しかし、それでもコミケ準備会から見れば、当事者間の解決を促す性質のものだったのだ。」という締めから何を導きたいのか?
しかしまあここで古鳥羽氏自身も不穏当な出来事と書き、「私だって写真は怖い。」と述べている通り、これは怖い。テロル、とはそもそも恐怖という意味ではなかったか。そして相手が集団組織であればなおのことである。その集団がオタクのためと言いながらコミケのルールを破ってまで行おうとするなら、それはテロと呼ばれても仕方がない。
とりあえず吾輩はそのように考えている。

しかし、「自分と似た他人」に「自分が反対するデモや言論」をさせない権利は誰にもない。

「させない」「他人の行動する自由を奪う」のはそもそも普通は不可能で、だからこそ「このデモもどきはおかしい、迷惑だ、危険だ」と訴えかける自由もあるし、その考えの中身、あるいは言い方を、古鳥羽氏が批判するのも良いとは思うのだけど。結局これが何のことを指しているのかよく分からない。
「気持ち悪い・不快だからやめてほしい」「イメージが悪くなると思うからやめてほしい」というのもまたひとつの意志であり分析であり要求である。それが正しいかどうか、それに従わねばならないかどうかはまた別だが、論ずる前にそれらの主張そのものを否定することはできないと思う。

例えそれが「嫁こいデモ」のようなパレードであれ、参加者が思い思いの意見を主張して騒ぐ形のデモであれ、社会に訴えかける意義はある。

それでも私は、五百余名を連帯させたアキバデモは成功だったと思う。

吾輩はアキバデモに全く意義が無かったとは思わない、というか一般論として、当たり前のことだが意義の全く生じない行為を行うことはほぼ不可能である。
そして伝えたいことがマスコミに一行でも載ったらその部分はプラス効果といえると思う。


しかし同時にマイナス効果にも目を向けなければならない。比較考量を行わねばならない。だから批判されているのだし、だからこそ内容に目を向けねばならない。
そして吾輩は今回のアキバデモを成功だとは思わない。失敗だとも断じない。そんなものは主観と目的による。論ずべきは「成功」と「失敗」ではなく「成果」と「問題点」であろう。この点では斉藤先生の「成功だったんだから〜」という発言にも吾輩は賛同できない。
「成功だった」と考える人にとっての目的は満たしていたのかもしれないが、他の誰かにとって問題を孕むものであれば手放しで肯定できるものではない。今回問題となっているのはまさにそこなのだし。

オタク同士は常に近親憎悪と仲間意識とを行き来し、さらに、ネットでは個人のエゴが実空間よりも強く出る傾向がある。
ゆえにこそ、アキバデモについてのネット上での批判はヒステリックなものになり、批判への応答もまたそうなってしまい、内紛にまで繋がったのではないか?
事件を「テロ」と呼ぶならば、不毛な喧騒を焚きつけた一人一人が「テロリスト」だ。

「ゆえにこそ」ということは「アキバデモについてのネット上での批判はヒステリックなものになり」は既に確定事項扱い。まあそれはひとまず捨て置くとして。
古鳥羽氏はつまるところ「ネットでやったのが悪い」と言ってるようなのだけど、ネットでは「個人のエゴが実空間よりも強く出る傾向」があったとしてもそれを押さえるのが議論の条件であり、ネットにおける社会性であり、これって要するに「ネットで荒らしになるかならないか」の話だと思う。つまりヒステリックになる人間がネットを使った活動を行っちゃいけない(実際に使わせないことなんてできないから困ってるんだけど)ってだけのことなのではなかろうか。


これに関連して古鳥羽氏は12日のブログエントリで「ネット上でどこまで建設的な議論ができるのかについては疑問がある」とも書いているが、ネットで議論するなというのは情報流すなと言ってるに等しいと思う。これはそのまま進むと「ネットで批判するな」に繋がるからだ。
議論の起こせない批判とはいったい何なのか、もはや意味が分からない。古鳥羽氏自身のネットにおける「大谷批判」に対する異論が発生したらどうなるのか?あるいは大谷礼賛ブロガーがいた場合に古鳥羽氏はその人の見解を否定せずに自分の意見を表明することができるのか?このコメントはそのあたりをどう考えているのか皆目見当がつかない。
ブログの方のコメントでは「どこまで」という言葉を使っているけど、それこそ「どこまでか」をきっちり定義しないことには判断材料とすべき見解としては十分な意味を成さない。しかし古鳥羽氏は既にこの記事でその見解を「ネット上での批判」の否定に持ち出してしまっている。
「ゆえにこそ」ということは、「そうだったからこそ」、「ネット上であったからこそ」ヒステリックになった、それが悪いのだ、と読み取るしかない。
そしてそれがこの『事件を「テロ」と呼ぶならば、不毛な喧騒を焚きつけた一人一人が「テロリスト」だ。』という文に繋がっている。ネット上での議論はヒステリックになる不毛な喧騒だから、主催者の暴走は批判や議論を仕掛けた方も悪い、と。


しかし前述のように、それは当人の社会性の問題でしかないと思う。だからネット上でのアキバデモ批判もネット上での大谷批判も、吾輩は意味のあるものだと考える。


この記事にしても、ブログのエントリにしても、読んでいる限り、古鳥羽氏は肝心のアキバデモや主催者の行動の是非を捨て置いてデモ叩き・炎上の現象と内容の中の問題点だけを言ってるように見える。この記事でも主催者側の問題点の多くは『アキバデモが「アレじゃ単なるパレードだ」「批判への対応がまずい」など傾聴するべき意見もあった。』などと簡単に触れられるだけで済まされている。
まあ吾輩はアキバデモ批判の中に問題のある部分がまったくなかったとは言わないし、運営の問題点から離れてそちらの分析・評価・批判を独立して行うこと自体はそれが悪いこととは思わない。もともと完全に中立公正な存在など想定しても仕方がないし、古鳥羽氏がデモの擁護者として多少主催者を代弁する、あるいはフォローをする形の主張を行うのも、擁護の主張記事としてはあっても構わないと考える。吾輩自身もここでデモ主催者を批判する立場からエントリを書いている。
しかし上で指摘してきたように、相手方の主張やその筋道を紹介もしないまま『「テロ」なのか?』『ICレコーダーを持って〜』といって一方的に自分の主張だけを述べたり、根拠も具体的な事実もはっきりさせないまま「事実無根の誹謗中傷をした」と事実であるかのように断言したりするのは記事・報道として許されるものではない。


それともう一点。
この記事の中身はともかく目的自体に文句をつける気はないのだけど、はっきりデモ主催者を擁護してあんな文言のアンケートを突きつけた後の行動として、デモ主催者の問題点などを軽くスルーしてデモ批判者への批判ばかり書いた記事をもってその総評に代えて済ませるというのは、道義的にというか、敵意やら喧騒やらを否定した者の行動としておかしいのではなかろうか?


なお5ページ目の斉藤環氏のコメント文に関してはご本人も書いておられるように一般論だし、上で述べた以上のことはひとまずここでは触れない。


あとこの記事と雑誌の紹介エントリに際して古鳥羽氏が述べていたことについて。
http://blog.goo.ne.jp/kotoba_mamoru/e/9cfaf65c59b00c85a40468bc8f96c688

今回の記事では「オタクの中の世間」の問題について書いたわけですが、こうした「オタクを取り巻く世間」の問題も、この様にあまり改善されてはいません。
「あいつらはキモヲタだ」「あいつらはテロリストだ」って罵り合っている場合じゃないと思うのですが・・・?

古鳥羽氏自身が「あいつらは事実無根の誹謗中傷をした!」という酷い罵り方をしていることにまず気付いてもらいたい。そして事実に目を向けるな批判をするな議論をするな、というのは自殺行為である。「政治が大変なときに、外交の重要局面なのに、アニメやゲームのことで罵り合っている場合じゃない。」と言われることを考えればそれはよく分かるのではなかろうか。


追記:20080517に続き(再構築含む)のエントリを作成。
http://d.hatena.ne.jp/diktator/20080517#p1