アキバデモ後の事態の経緯及び吾輩の立場と見解について

まあ補足として書いておきたい。こちらも畳んでおく。
吾輩は当該アキバデモについて、mixiの「6・30アキハバラ解放デモ!」コミュニティの「デモに関する批判意見はこちらに…」というトピックにおいて何度か批判を書き込んだ、あるいは疑念をぶつけたことがあり、二分するなら批判的な立場といえる。デモ公式コミュからは7月末に起きた突然の管理人交代の際に強制退会処置を受けて排除され、現在は「630分派(旧630を早急に反省)」コミュに加入中。
強制退会以後積極的に発言したことはほとんどなく古鳥羽氏からのアンケートも来ていないが、630分派コミュにおいて公開質問の企画が出た際に考えの整理を兼ねて意見(アキバデモへの疑念)を書いているのでとりあえずここに転載してみる。

・個々の特定個人の主張が、デモ参加者全体の意志だと受け取られる危険性があることは重大な問題だとは考えないのか?
・あるいはデモ行進という形で威力を示している以上、参加者全員が、そこで表現されている「個々の主張全てに協力し加担している」といえるのではないか?
・参加者がその誰かの主張に賛同する意志を持たないのに一緒のデモとして威力を示すのでは観衆を騙していることになり、主張やデモは信頼を失うのではないか?
・「あらゆる少数派諸君!」という括りで全て受け入れるなら、参加者は他の参加者のどんな思想にも協力し同調しなければならなくなり、危険な主張の持ち主にも利用されうるのではないか?
・それを規制するなら誰がどのような基準で選別するのか?


・主催者は、要求や主張をするわけでもなくただ騒いで愉しむだけの祭りとして参加していた人もいると認識しているのか?
・認識しているならそれが100%でもデモであったといえるのか?
・デモといえないならその境目はどこなのか?デモと呼べるならコミケ等の祭りとの違いは何か?


・ばらばらの主張を持った、あるいはただ騒いで愉しむことだけを目的とした人がたくさん集まったとしても、それが主張を伝えるデモとして次回以降に繋がる成果といえるのか?
・そもそも今デモをもって主張・表現することが必要であると考えた活動の動機とは何なのか?最終的にその必要を満たすための活動のはずなのに、何故その目的を掲げずに祭りという名目で目的の違う人を集めようとするのか?


・公式HPにある『「アキハバラが好き」というメッセージ』なるものがデモの真の主張であるとするならば、「様々や主張(様々な主張?)をすること」はその目的のために「ポーズ」を表現の道具として利用しているだけということなのか?
その「アキハバラが好き」というメッセージが、少なくとも具体的な主張の明確性を放棄して人数を集めるほど上位に置かれた理由は何か?


・既に存在が認知されているからこそ差別や偏見が存在するのであって、ただ「アキバが好きなオタク」の存在を数で示すだけの行動ではなく、黙殺されている「主張」の存在と正当性そのものを示すことを第一に考えなければ意味が無いのではないか?

吾輩がアキバデモ自体を疑問視している理由の多くはここに収まっている。このような状態を肯定し、主催者側から次回以降のデモにおいてこれを改善するという意志が示されなかったため吾輩は彼らを批判していた。


『「あらゆる少数派諸君!」という括りで全て受け入れるなら、参加者は他の参加者のどんな思想にも協力し同調しなければならなくなり、危険な主張の持ち主にも利用されうるのではないか?』
これについて言えば、結局のところ「利用されうるシステム」をこのように保持し、排除しない点で彼らの目的は疑わしいし、何かしら疑われても仕方がないと思っている。逆に言えばその可能性がきちんと排除されていればどんな組織が関わろうと問題にならないと考えられる。


また吾輩は今回の批判について、ネットであるがゆえに敵意や嘲りが(あるいはメッセージから人が読み取るその敵意や嘲りのイメージが)ネット以外で行われた場合よりも大きくなったとは思っている。正面から顔を突き合せればもっと遠慮が出たであろう。古鳥羽氏や斉藤氏の主張をその点では否定しない。
しかしそれは今回の事件の問題で行為の責任が寄りかかるようなものではないと考えているのは既に述べたとおり。古鳥羽氏の記事にあってもその影響がなければ起きなかったと判断するに足る論拠は提示されていないし。仮にそれが影響を与えている面があったとしても、それがこのような行為に結びついてしまうのはデモ主催者の社会性の問題であろうと思う。

mixi上のできごとについて

mixi「6・30アキハバラ解放デモ!」コミュニティ「デモに関する批判意見はこちらに…」トピックにおける発言およびやりとりについて。
吾輩は577から何度か書き込んでいるのだけど、818あたりから、事件関係者の中で吾輩が現在一番大きな疑念を抱いている人物、鷲尾拓氏と幾らかやりとりを行っている。
発端は早稲田の論客氏の書き込みにおける

(早稲田の論客)
 >>803
でも、そういった意見を多数集めたところでデモしても
「そこにいる全員がそういった意見を全員主張している」と見られませんかねえ。

という部分に対して鷲尾氏が

(鷲尾拓)
■「そこにいる全員がそういった意見を全員主張している」
  と見られませんかねえ。
 ※それはアンタの主観なので、どーでもいい書き込み。

と返した部分に対して、この早稲田の論客氏の発言は吾輩も主張していることだったので

(総統D)
「そこにいる全員がそういった意見を全員主張している」と見られかねない、というのは単なる主観的な感想ではなく具体的な危惧でしょう。そういうことになる危険を放置している、つまりリスク管理ができていないということが「どうでもいい」というのは明らかにおかしいと思いますが。

と吾輩がコメントしたことである。なお引用は発言の抜粋で冒頭の( )は発言者。以下同じ。


それに対して、鷲尾氏はどういうわけか「それはあなたの思い込みだ」という主張をしはじめる。というか元から「アンタの主観」などとも言っていたのだけど。

(鷲尾拓)
それが既に貴兄個人の思い込みじゃないですか?
貴兄一人が単なる感想を述べても、それは全く具体的ではありません。具体例をあげて貰わないと、明らかにおかしいと思いますが。

吾輩が述べているのは可能性、危惧、つまり危険性の指摘であって、可能性の検討をするときに「思い込み」だの「感想」だのといった言葉は明らかに関係がない。と思ってそれを言ってみたのだけど。

(鷲尾拓)
>何故そこで感想という言葉が出てくるのか分からないのですが。これは、起こるかもしれない、起こっているかもしれないという推測、警戒というようなものですよ。むしろ「起こらない」「存在しない」と決め付けてしまうことこそ思い込みです。
そういう警戒心は百も承知でデモをしたのであって、
そういう推測や警戒がなければ当局に許可なんか得ませんよ。
色々並べ立てて「自己満足の感想」に耽ってませんか?

とまた素っ頓狂な(何を誤読してるのか「当局の許可」で観衆の誤解の可能性が減るわけがない)レスが帰ってくる始末で、鷲尾氏はこの件についてはひたすら「思い込み」「感想」と言い続けていた。

(鷲尾拓)
>既にかなり具体的だと思いますが、まあ指示代名詞に固有名詞を入れるとして……デモの参加者個人がたとえば「天皇制反対」という主張を掲げており他の参加者もそれを咎めずに威勢を示しているとき、その様子を見た人がこのデモの参加者たちは天皇制に反対という意思を示すために行っているものなのだと認識するような可能性があるということです。

表現の自由は「日本国憲法」で保障されていますけど?
それを否定する方向の「みみちい可能性」の心配ならば
不要だと思いますよ。

さらにこのように「誤認の可能性」に対して「表現の自由」を持ち出すに至ったところで、吾輩はこの人物はまともに考えるつもりがないただの荒らしだと確信する*1に至った。そしてこれへの返信レスの最後に

(総統D)
>文章読解力ありますか?
完全とはいえませんが決して悪くはないと自負しております。
現在吾輩は、あなたの方こそ吾輩を疲弊させる目的で故意に曲解しているのだと考えていますよ。ここまでの曲解の多さだけの問題ではなく、現に秋葉原コミュで他人を煽る意思をもってトピックを立てたと表明した前歴があるという点であなたにはまともな議論を期待するだけの信頼をおけないのが最大の理由です。
ゆえに返答如何によって吾輩個人がレスを打つ価値が無いと判断した場合には以後スルーさせていただきます。と蛇足ですが一応述べておきます。

という一文をつけた。

(鷲尾拓)
>872: 総統D
相手しても無駄なので、以降スルーします。

そして鷲尾氏がこのようにだけ返答してきたところでひとまず終了。


このやりとりの間でも「それともオタクが世間に出たことについて、何か「やっかみ」に似た感想でも持っているのですか?」「曲解しか出来ないのか、国語力がないのか、どちらですか?」「文章読解力ありますか?」などとたくさんの煽りを入れて罵倒してきた鷲尾拓氏について、吾輩はこのレスに書いたような理由から到底まともな人間ではないと判断したし、古鳥羽氏のみならず吾輩としても少なくとも「不毛な喧騒」でしかないと思われるものを続けるのは望むところではない。デモの主催者というわけでもないただの荒らしのような人間と長レス合戦を続けるのも周囲の邪魔になるであろうという遠慮があったし、不可解なまでに曲解を続ける荒らしがどう言っていようと主催者の目にも入っているならこれ以上書く必要はないであろうという判断によるものだった。
ところが後日、この吾輩には荒らしとしか思えない人間である鷲尾拓氏が「6・30アキハバラ解放デモ」コミュニティの管理人に就任しその権限で吾輩含む批判者がコミュニティから排除されてしまい、さらに後に発覚する「ひみつ結社」ログにおいてこの鷲尾氏がデモコミュニティの運営に関して主催者と密にやりとりをしていたことが発覚した。
そして当然のごとく、吾輩の主張・問いかけに対して主催者からの返答が見られることは終ぞなかった。


「他人を煽る意思をもってトピックを立てた」という部分について補足しておくと、秋葉原コミュ(正確なタイトルは「秋葉原!」)において、当時既にアキバデモに関するトピックが存在するにもかかわらず、鷲尾氏は同じアキバデモについてのトピック立てを行った。
先行トピック自体も立て方としては適切さに欠ける面があったとはいえ、重複した事案に関するトピックを、吾輩が見る限り先行トピックの欠点を正したわけでもない内容で立てた(罵倒混じりの文だった)うえ、それに対する批判のレスを受けてもほとんど答えずに放置した末に「予想通りの反応だ」などという旨の嘲る発言(このあたりは吾輩の主観的な判断になるが)だけを行い、まともなコメントを入れようとはしなかった。
なおそのトピックは本人によるものか管理人によるものかは知らないが既に削除されている。
ログも保存はしていなかったのでこれについては吾輩が見た記憶を記述する以外に現在データとして出せるものは少ない。ただ削除されていること自体が(消したのが本人にしろ管理人にしろ)ある程度(まあ管理人が完全に公正であると断言はできないので)の傍証にはなるであろう。元々そんなトピック自体が存在したかどうかについては探せばこれも傍証になる関連コミュニティ・トピックにおいての言及の記録が残っているのではないか*2と思う。目撃者もいるであろうし。

その後の行動というか不行動について

かくて、吾輩はこの「ひみつ結社」ログにおいても頻繁に発言している鷲尾拓氏という存在と、主催者がそれを容認している節が見られる(発端において吾輩は鷲尾氏の発言についても言及したが、鷲尾氏は吾輩が主催者に向けて述べたその他の部分にもコメントしている。そして鷲尾氏の罵倒混じりのレスに対して吾輩は受け答えしていたが、当の主催者からは何も返答が来ていなかったし、主催者が鷲尾氏を諌める発言もせいぜい口の悪さ程度に留まる。そこに加えて管理人交代が起きた。)ことに、異常性とそれに伴う危険性を感じるに至った。


吾輩がそれ以後「630分派」コミュでさえ積極的に発言していなかった理由は、改めて分析してみると幾つもある。

  • ひとまず吾輩が主張したかったことは述べるだけ述べた、ということ。
  • 問題だと思われることはその度に各批判ブログでおおむね言及されているため、吾輩まで同じことを書く必要性が薄いこと。
  • そのうえで、既に問題点を批判されつくして「既に“論理において”死に体」のように見えるアキバデモ運営陣の見解に対して、吾輩が改めて追い討ちのように批判コメントを寄せるのは弱いものいじめ(というか死体に鞭打つ行為)のように感じられたこと。
  • 「630分派」コミュなどにおける話題などで、吾輩としては馴染めない流れが少なくないこと。
  • これは「-三ノ宮由佳里先輩抱き枕耽溺撫録-」という副題をつけているブログなので、そういう領域へ介入するのにうちの嫁を巻き込みたくなかったこと。(ゆえにこのエントリ上げる際に一旦外した。ただしばらくしたらこのエントリ残したまま戻すとは思う。)
  • 一々やるのは単純にめんどくさかったこと。



そして中でも小さくないウェイトを占めていたのが実はこれだったりする。

  • 今回の「コミケテロ」のような事態の発生を危惧していたということ。



前述のように「彼らの言動の異常性」は吾輩にそのような恐れを抱かせるには十分であったし、しかもその危惧が的外れなものではなくまさに大当たりだったことは彼らの行動により証明されてしまった。


また吾輩自身のことはもちろんだがそのために友人知人に迷惑をかけてしまうことだってありうるとも危惧された。彼らに迷惑をかける可能性があることはあまりやりたくなかった。

(鷲尾拓 2007年08月01日9:16発言抜粋)
ttp://d.hatena.ne.jp/plummet/
ハンドルネーム「plummet」で私のアキバ系の人脈で調べるか、古澤氏〜JSFラインから正体を調べられないでしょうか。

実際、後で明らかになったひみつ結社ログの内容にもこのように他の人間から辿ることへの言及が見られるし、特に現場となったコミケには吾輩はここ数年行っていないものの友人知人が多く参加している。


またひみつ結社ログにはこのような記録がある。

(Syuu-Chan@執筆中 2007年08月03日14:30発言抜粋)
>あと、コミケ同人ブース内でビデオカメラ回すのは不味い様な気します。

取材スタッフの振りしてれば良いでしょう(笑 なんのために「ボクがチケットをあげる」と言っているか分かりませんか?開始前の設営の段階でやってもらうためですよ。場所もかなり近いし、普通に記念撮影するふりでも問題ないですよ。なのでそういうタスクをしっかりと勤めてくれる人にチケットは差し上げます。わかさんとかパルチノフさんはいかがですか?

そして8月10日の03:1923時54分発言でログが終わる*3まで、ざっと見た感じでこの行為を批判している発言は見当たらない。
合法でやろうと謳いながら、撮影する人間にサークルチケットを回したり、設営時に記念撮影を装うなどして隠し撮りする。ただ「隠す」だけでコミケのルールは破る。
隠せればコミケのルールを破ることを厭わない、ルールを遵守する意識のためでなく見咎められないための行動を行う彼らの「法的にのっとった方策」が、ルールを破って得たその写真を隠れてもなお合法的な活動にだけ使うものだという見方は到底できない。
こんなものに周りの人を巻き込む可能性をむやみに増したくはないから、吾輩は静観していたのである。危惧を現実のものにしてしまった主催者の行動は重い。まあ事件以前はここまでとは知らなかったが薄々予感はあったし、事件以後の言及していない理由の一部にはなっている。
あと言っておくと、その危惧がなければ積極的に言及していたかといえば、前述のように他の理由もたくさんあるからさほどでもないはずである。ただ、減らす効果はあったと思う。
そしてそのような状況で静観していた吾輩が、今ここでこうして言及しようと考えるに至った直接の原因は、他でもないこの古鳥羽氏の雑誌記事である。しかしそのあたりの分析は面倒だしこの長文をこれ以上長くするのも嫌なので割愛。

表現規制と大谷批判と古鳥羽氏について

古鳥羽氏の記事についてのエントリとして、ブログにおける言及も含めてまさに「敵意」を持っているに近い立場から吾輩は批判したが、大谷氏やその他メディアの問題について活動している人として古鳥羽護という名前はしばしば目にしており好意的な印象を持っていたし、今回の記事を目の当たりにして印象のいくらかは変えざるを得なかったが、今もまだその全てが霧消したわけではない。あれらをただ放置しろとは思わないし、それらを取り上げる活動自体は良いことだと思っている。(もっとも実のところ日頃吾輩は古鳥羽氏のブログをあまり読んでおらず、言説の中身についてあまりよく知らないので無責任に支持することもできないけれど。)
つまり何が言いたいかというと、吾輩はこの文章を嬉々として、嘲って、あるいは怒りに任せて、というよりもむしろ、わりと悲愴な気持ちで書いていたりする。基本的に論を追って文章を解体する作業は好きだから嬉々としている面もあるし、記事のあまりの偏りぶりとそれがこのように掲載されたことに怒りの感情を持っているのもまた偽らざる事実であるが、それ以上に悲しい気持ちが強い。
吾輩は規制問題を解決するための言論や主張はもっとなされるべきだと思っているし、それだけでは行き詰まるというならデモに限らず何らかの活動も必要になってくるとも思う。(ただ吾輩自身が積極的に時間を割いてやるかと言われれば微妙ではあるが。吾輩は万能ではないし取捨選択の問題もある。)
しかも吾輩は―ここまで言及する機会が無かったが、かなり重度のオタクである。いわゆる二次元キャラ(この呼び方は好きではないが便宜ではある)である三ノ宮由佳里先輩にかなり強烈に入れ込んでおり、由佳里先輩抱き枕が届いて以降はゲームよりもそちらにまふまふ*4しつつ接吻する方が重要になってきている。一方で由佳里先輩抱き枕を一生傍らに置いているだろうと信じているわけでもない。と、心底愛しているからこそありのままに言える。と恥ずかしげもなく言ってしまうくらいに重度なオタクである。
惚気はさておき。まあ吾輩は自分ではオタク全体の中でもまたちょっと特殊な位置にいるのではないかと思っている面があるのだけど、ともかくそのくらいには重度のオタクであるところの吾輩は、オタク的な趣味そのものを嫌悪することはしていないつもりであるし、大谷氏のような言説を憂いてもいる。
ただ、活動(表明も含めて)の方法がおかしい、それについての見解がおかしい、と言っていたのである。
そして、それに対する古鳥羽氏の批判に的外れな、あるいは事実を誤認している、または事実無根であるようなものがあると思ったからこのように批判し、あるいは疑念を投げかけている文章を書いた。上での吾輩が書いた批判の内容もまた正しいかどうか検証されていかねばならないが、現在の吾輩は、古鳥羽氏が書いた記事は上のような理由で問題があり極端な偏向報道と呼べるものだったと考えているし、古鳥羽氏はこれを意図的に行ったのでなければ(俄かにはそう信じ難いほど酷い書き方だと思えるから悲壮なのだが)、義理か焦りか怒りか(いまだに冷静さを失ったままであるのか)何らかの理由で極端な視野狭窄に陥っているとしか吾輩には思えない。


これだけのことを書いた上で敢えて言うが、吾輩は古鳥羽氏を叩きのめして意気を消沈させたりしたいのではなく、冷静になってもらいたいと思っている。
吾輩は基本的に本気で真剣に、真剣だからこそ明確に批判しているのだし、こんなことで冷静でいられなくなるのでは、この先の活動など望むべくもなくなってしまう。
覚悟と気概のある人物が他に十分立っていない今、その意志があるのなら状況を見失わずに冷静になってほしい。重度のオタクであり、現状を憂いてもいる吾輩は、そう思っている。これが手前勝手な願いであることは承知しているのだけど。


しかし自分のブログゆえ遠慮しないで書いてたら、滅茶苦茶長くなってしまった。しかも一々文章と言葉の解体・解釈のためにやたら行数使ってるし回りくどくてぶっちゃけかなり読みにくい気がする。こういうものって色分けとか考えたほうが良いのかしら。


追記:日時の記載を一点訂正して注釈追加。誤字脱字等細かい部分を修正。あと「秋葉原!」コミュのURLはわざわざ書いておく必要がないと思ったので削除。


*1:後で考えるとこういった迷惑行為には一定の目的があった可能性もあるわけで「ただの」荒らしかどうかは今になると疑問ではある。

*2:これについては見付けたとしてもmixi内の無辜の個人の発言を晒し上げることにしかならないので探してない。

*3:この部分を書く際に最後の書き込み日時を確認しようとひみつ結社ログのページを送ってる最中、03:19書き込みの下に「新しく書き込む」が表示されてたため咄嗟に勘違いしたけど、ひみつ結社ログはそこから追加で書き込まれた部分も別に収録してあるので正確には記録の最後は23時54分だった。

*4:これには明確に定まった意味はない