古鳥羽氏の記事の問題点についての再言

前置

去る5月15日、切ないことに、吾輩はmixiにおいて古鳥羽護氏にアクセス拒否対象に設定されてしまった。


アキハバラ解放デモに関する古鳥羽護氏の記事
http://d.hatena.ne.jp/diktator/20071013#p1
・アキバデモ後の事態の経緯及び吾輩の立場と見解について
http://d.hatena.ne.jp/diktator/20071013#p2
雑誌「紙の爆弾」に古鳥羽護氏が書いた記事の問題点とそれに関する古鳥羽氏のブログにおける見解への疑義等について、吾輩が上記のエントリを書きトラックバックを送ってから半年以上が経過していた。


無論トラックバックを送ったからといって返答を強要できるわけではないしそれがないことを直ちに責めるつもりもなかったが、古鳥羽氏にはこの雑誌記事の問題点を是正する様子も説明する様子も反省する様子も一向にほとんど見られず、そこに存在する問題点は何も解決されていない。
古鳥羽氏がそこをどう考えているのかが分からない中、久々にmixiの古鳥羽氏のページにアクセスしてみたところ最近何件かの日記が全体公開されていたので、そこから古鳥羽氏の見解や認識を読み取れないものかと思って眺めていたら3時間と経たないうちに突然アクセス禁止処置をされてしまった。


元々そういうことが出来るように作られているのだし、ここでmixiにおけるアク禁という処置行動そのものを全面的に否定はしない。
ただその間に読んだ限りにおいて、古鳥羽氏が『私が公開のブログ上に何かを書くと、荒らす人がでてきてしまう』『「古鳥羽護」の名を見つけたネットイナゴたちがあなたのブログを荒らすかもしれない』という旨の発言をしているのが見られた。また古鳥羽氏のブログにおいても「ネットイナゴ」に襲われたという主張が示されている。


そして今ここで吾輩が古鳥羽氏の日記のコメントに何かしら書き込んだわけでもないのに即座にアクセスを禁止されたということは、吾輩および前エントリが「荒らし」の「ネットイナゴ」の所産であるという認識をされ、そういった敵意をもって無視されている可能性が極めて高いと考えられる。少なくとも、そのような評価をされたに等しい処置であろう。


しかし前述のエントリは吾輩が真剣に書いたものであるし、そのような理解をされることは決して喜ばしいことではない。だが実際たしかに前エントリは言及対象の多さもありやたらに長ったらしく、読みづらく理解されづらい面を持っていると思われるし、責を読み手のみに押し付けるべきではない。
ゆえに、望ましくないすれ違いの余地が薄まるよう、細かいプロセス部分は先のエントリで言及している(http://d.hatena.ne.jp/diktator/20071013#p1)ことを踏まえたうえで、重要と思われる部分をより平易に、読みやすくなるように改めて再度提示してみたいと思い、エントリを立ててみることとした。

本題

紙の爆弾」における古鳥羽氏の記事は酷い内容である。吾輩はそのように評価する。
ここは改めて明確にしておく。それをぼかすわけにはいかない。


そしてまず真っ先に、古鳥羽氏に言いたい。
ぶっちゃけ吾輩のメッセージの半分以上はこの一言で要約できる。
「言い訳をぐだぐだ捏ね回す前に、まず客観的事実だけを公正に並べろ。話はそれからだ。」




まずこの記事の古鳥羽氏の記述は肝心なところがいちいち曖昧で、また不自然なまでに情緒的すぎる。

mixi」の主催者側の非公開コミュニティーには八月一日付けで「アキバデモと中核派の関係を主張する『神聖マルチ王国』がコミケにサークルとして参加するので接触し、法的に問題のない形で解決しよう」という旨の書き込みがあり、「写真を撮ってやろう」などと盛り上がる。このログが反対派に漏れ、連絡を受けて反対派の人物らは警戒していた。八月十七日(コミケ一日目)、主催者側の少年がカメラを持って現れ、揉め事となり、コミケ準備会に一時間ほど注意された。その場で話し合いが持たれ、一旦は和解。

(引用文中の強調は当エントリ筆者による。以下同じ。)
・「写真を撮る」という都合の悪い部分について、「などと」はまだしも突然「盛り上がる」という情緒的なフレーズが出てくるのは不自然。
・そもそも「接触し、法的に問題のない形で解決しよう」のはずが「写真を撮ってやろう」になる時点で不合理でもある。このおかしさ(この責がどこに帰属するかはさておき)を無視して、これに対する批判を避けながら繋げようとするからこんなフレーズが出てくるのだと思う。
・流出ログを読んでも明確に「隠れて写真を撮る」ことがこの接触の主目的になっており、現に写真を撮ろうとしていたところで捕まえられたとplummet氏らの発表では伝えられている。一方でこの古鳥羽氏の記事は、事件の重要な核心部分のひとつのはずであるそこが「揉め事となり」という非常に漠然とした書き方になっている。
・またそれゆえこの「写真を撮ってやろう」という部分は次の説明に繋がる必要不可欠な、問題の中心といえる。だからなおさらこの副産物のような書き方は不自然。
・しかも住所を割り出すというソーシャルハックに至っては八月一日以前に七月の時点ではっきりと言及*1されていた。


また順序は前後するがその直前部分、根本的な文章構造と記者の姿勢について。

「アキバデモ」が「中核派」と関係しているとしてブログが炎上、さらに、八月に開催されたコミケで「デモ反対派に対して襲撃を行う」などという情報が飛び交い、ネット上の一大事件となった。
この騒動の背景には、以前からアキバデモを快く思わない反対派ブロガーたちが事実無根の中傷や個人攻撃に当たる記事を書き立てていて、デモ主催者たちが苛立っていたという事実がある
(この後すぐ、上の『「mixi」の主催者側の非公開コミュニティーには〜』が続く)

・前段、事件事実・飛び交った情報・その場所の関係や時系列がテキストの中でごちゃごちゃになっており、どの事実を問題としているのかさえ読み取れない。
・後段で主張している「苛立ち」との繋がりも、因果関係が飛躍していて噛み合わない。文章としてねじれすぎている。
・後段、「事実無根の中傷や個人攻撃に当たる記事を書き立てていて」と明言しているが、その具体的内容が本文中にまったく示されていない。「誰が」「どこに」「何を根拠として」「具体的に何と書いたのか」がまったく分からない。*2
・「背景には〜〜苛立っていたという事実がある」という言い訳が早すぎる。この文は事件の言い訳でしかない。前書きのあとの本文第一段落、「コミケテロと呼ばれている事件」の客観的であるべき説明の途中にいきなり一方的な反対派批判を挟み込んでいる。これこそ事件の前提としては「揉め事」で十分だ。
・しかも「デモを快く思わない〜事実無根の誹謗中傷や〜」と最初からこれほど一方的な否定で悪役にしておいて、ブログでケロリと『(この本を読んで、)デモ賛同人もデモ批判派も、この先の「反オタク叩き運動」について考えていきませんか?』などと言えることが不思議でしかたない。
吾輩のエントリも強い批判を伴っているが、批判が悪いのではない。古鳥羽氏は相手の主張の根拠事実を無視してその検討もせず、つまり相手の主張・ひいては人格を対等に認めないレベルで扱っている。「で、相変わらずまぁ私のところにあのオタクとフィギュアがですね、ウジャウジャウジャウジャ嫌がらせのメールを入れてきてるわけで」と言ってた誰かさんとほとんど同じなのである。


そもそも古鳥羽氏の主張する「批判者も悪い(=批判者が悪い)」「彼らがテロリストなら批判者もテロリストだ」という話にするならば、事件被害者含む批判者の行為の正当性、つまり正当性のない「事実無根の誹謗中傷」であるかどうかは真っ先に論点になるはずであるのに、具体的事実や範囲を示さず一方的な断定で前提にしている。

また、「テロ被害者」の「神聖マルチ王国」らが流布した「企画立案者のSyuu-Chan氏は中核派シンパだ」という噂や「中核派がデモを主催している」という噂は完全に虚偽である。

後のこの記述も『「神聖マルチ王国」ら』の範囲がまずはっきりしない点で意味が薄く、また具体的行為でなく「噂」なるものを評価することも極めて奇怪である。具体的行為よりもはっきり責任の所在を評価できる噂など通常は考えられないし、現にその在処が示されてもいない。こういう客観的事実を示すべきところで、このように情緒的で曖昧な言葉ばかり繰り返すのは記事として異常だと思う。

[不穏当な出来事だが「テロ」なのか?]
コミケの歴史を見渡すと、トラブルは珍しいことではない。コミケ準備会は、仲が悪い大手サークル同士が隣り合わないようにするなど工夫しているが、それでもトラブルが何件かはあったと言われている。
「こんなのをテロと言われてもねぇ……」
と、ある女性コミケ参加者は言う。
私個人の特定を恐れて今まで触れなかったのだが、八月十九日のコミケ(三日目)ではデモ反対派側がソニー製のICレコーダーを持って、アキバデモ主催者のブースを訪れ、押し問答を行っている。迷惑行為ではあるが、これも「テロ」だろうか?
主催者側の少年が相手を無断で撮影しようとしたことはコミケガイドラインに反する。私だって写真は怖い。しかし、それでもコミケ準備会から見れば、当事者間での解決を促す性質のものだったのだ。

・何故「コミケ準備会」や誰ともしれない「ある女性」だけに責任転嫁するのか。自分自身を基礎とした明確な主張が示されていない。
・言外に「テロ否定」の意図を示しているとしても、否定の理由に自分の観点を提示しておらず、主観を並べるばかりで具体的な検討もしていない。
(ただ「このようなルールの逸脱行為はコミケットに対する破壊行為である」という側面もあるのでコミケ運営の見解ならまったく意味が無いわけではない。)
・改めて読んでて気付いたが、この記事の古鳥羽氏による記述が約4ページある中で、この写真を撮ろうとする行為については「写真を撮ってやろう」や「カメラを持って現れ」など上に挙げたように何度か触れていながら、古鳥羽氏はこの「私だって写真は怖い。しかし〜」というこのくだり以外でこのルール違反の撮影行為に対して否定的意思表示をしていない。


またこれに関連して古鳥羽護氏はブログで次のようなことを書いている。

http://blog.goo.ne.jp/kotoba_mamoru/e/f8f26e1933944d0a4004a7c44f047264
私自身、「月刊紙の爆弾」に書かせていただいた、アキハバラ解放デモの主催者たちが批判者たちとコミケで起こしたトラブルについてコミケ準備会が「当事者間で解決するべき民事的なトラブル」だと考えているという事の取材源については、今でも秘匿を続けなければならないと考えています。記事の内容に疑問を持ったデモの批判者たちから揶揄され、「今までマスコミを批判してきた癖に、マスゴミの体質に染まったのか? お前は大谷昭宏の尻尾だ。この異端のサヨクめ。」などと罵倒されても、私は耐えたわけです。

大谷氏の場合はどうなるのかなどを絡めて「耐えた」と「逃げた」の違いを教えてもらいたいのはさておき。会心のヒロイックなフレーズに酔いしれているところ実に恐縮ながら、ここにひとつ、以下のツッコミメッセージを贈っておきたい。






えー、そもそも古鳥羽氏に対してことさらにコミケ準備会が「当事者間で解決するべき民事的なトラブル」だと考えているという事の取材源』を問うた人は多分ほとんどいないと思います。この発言に対してid:plummet氏は「誰もあんたの取材源なんか問題にしてねえwwwwww」と述べており、吾輩もそんなところを突いた人は今のところ認知していません。
強いて言えばid:dozre氏がこの事件の重大性について言及しているエントリ(http://d.hatena.ne.jp/dozre/20071020#p2)は存在しますが、古鳥羽氏のいう「コミケ準備会が云々〜」というくだりは情報としてはほぼ無視されています。かく言う吾輩も、先の批判エントリを書いていながらそこはまったく意に介していませんでした。
それは何故かというと、理由は簡単。記事全体があまりに酷すぎたため、せいぜい「コミケではよくあることだ→だからコミケ準備会も大したこと考えてないに違いない」程度の個人的な主観による決め付けを他の部分と同じように垂れ流しているだけにしか見えず、こんな唐突な記述をしている部分で情報源なんてものの存在を主張するなんて予想だにしていなかったからです。
なにしろこのパラグラフは上で引用したようにそもそも「テロなのか?」という表題がついていたはずなのに頻発性や相対化など本題とは的のずれた文章が連なった末にこの「それでもコミケ準備会から見れば、当事者間での解決を促す性質のものだったのだ。」というテロか否かのはっきりした主張さえないままのフレーズで突然段落が終わっているので、そこまでの文章からこの結論を導いたつもりになってるものだと思ってました。






ここで、取材源明かせないけど古鳥羽氏が明かすのはOKという主催の見解ってどういうものなんだろうとか、何がどうなったとかどう表明したとかいう客観的事実でなく多分に主観的で解釈の難しい「見解」について客観的情報提示も無しに古鳥羽氏がそこから主張する結論だけをぶち上げることにどれほどの意味があるのだろうかとか、どうにも分からないところはあるものの、何言ってるのかわからなかった状態から「取材源がある伝聞情報」という主張が判明しただけでもこの部分は少し進展したとも思える。
そして『準備会が〜だと考えているという事の取材源』について情報源を秘匿する必要があることを理由に開示していないというなら、そこはいいから他の秘匿の必要がない部分の情報源を提示してもらいたい。むしろそれ以前に、秘匿するしないに関わらず情報源による記述なのかどうかを明示してもらいたい。


吾輩としては、そういう要素こそがあの記事において最も致命的に足りていない情報ではなかろうかと考えるのである。

http://blog.goo.ne.jp/kotoba_mamoru/e/6d6e1a47374a27c75fed6c38e335411d
私が顔を出す前に、他の出展者とのトラブルや小競り合いがあったのかもしれませんが、警察沙汰になったり、コミケ準備会で問題になるような事案になっていたのだとしたら、どうしてこの様に、平穏な形で撤収できたのでしょうか?
さて、私がブースを離れてコスプレ会場に居る間に、アキバデモのブースでは警察や準備会の人からの、キツイお説教があったり、周囲の政治系サークルとのイザコザが起こっていたりしたのでしょうか?

とブログで自身がイザコザを認知していないことを根拠とした主張をしていた古鳥羽氏が

私個人の特定を恐れて今まで触れなかったのだが、八月十九日のコミケ(三日目)ではデモ反対派側がソニー製のICレコーダーを持って、アキバデモ主催者のブースを訪れ、押し問答を行っている。迷惑行為ではあるが、これも「テロ」だろうか?

と今回の記事で同日におけるイザコザの存在を妙に仔細に明言し、かつ「私個人の特定を恐れて今まで触れなかった」と述べ、さらに「押し問答」「迷惑行為」とイザコザの度合いを強調している点などについて、当日直接確認した事実なのか取材源のある伝聞情報なのか(その場合取材源を明かせるのか)というような情報が明らかにならないことにはどのように受け止めるべきかも判断が難しくなる。


というか基本的な問題として、この記事全体に断定口調で書かれているけど、そもそも事件の存在すら知らなかったはずで、一日目の事件も三日目にイザコザがあったことも知らなかった人なのだから、そのあたりの事件の情報は全部伝聞のはずだ。情報源を本当にどうしても秘匿する必要があるというなら秘匿するでも仕方ないが、伝聞情報をそうと区別できない断定の形で書くということがまずもっておかしいと思う。
もちろん新聞やニュースなんかは直接目にしたわけではないライターやキャスターが取材で得た情報を組み立てて事実として伝えているとも言えるが、大抵それは組織全体をほぼ一体のものと捉えてキャスターはその代表発表者であるとか、警察発表などでおおむね保証されていることを便宜上省略しているなど、それが妥当と考えられるだけの事情を前提にしている。そして新聞も必要な場面では伝聞表現が使われる。
またこの「紙の爆弾」という本はここに記事を書いている古鳥羽氏でさえ「イタイ」と評するほどの、吾輩としてはとても好きになれない代物なのだけど、それでもこの本でさえ、他のページをぱらぱらめくっていても「〜によると」「〜が報じた」「〜では」「〜はこう話す」という表記がそこらじゅうに見られる。裏づけが難しいものならなおさら、誰々に聞いたとか書くのは当たり前である。なのに古鳥羽氏の記事には明らかに伝聞情報であるはずの部分にもそれがほとんど無い。


まして、その「事実なるもの」を誰に聞いたのか。
そもそも古鳥羽氏は「デモ主催者」側に立っていて、かつ事件当日、二日後、そのさらに後日になってもまだ事件の内容を把握していなかった。その状態からあの特殊な場所に当日居合わせたまったくの第三者に情報源秘匿の信頼をふまえて(いや別に秘匿の必要なく公表できるのでもいいけど)情報を提供してもらえる程の信頼を得て、記事を書くことができるのか、と考えると残念ながらその時点で公正さは相当疑わしいという先入観を持たざるを得ない。
そして「ICレコーダー」のくだりにしても、当事者と思われる「早稲田の論客」氏はこれを「いいがかり(があった)」と8月の事件直後の時点で否定している。しかし古鳥羽氏の記事ではそれが留保もなしに明らかな事実として記述されている。これは言わば、片側の一方的な言い分のみを記述したものだといえる。
http://blog.goo.ne.jp/kotoba_mamoru/e/ce33014c9a8313e78914e657e2b31aab
それに古鳥羽氏はあの偏った「アンケート」なるもの以外に、批判していた人たちを取材した形跡がみられない。またデモ主催者側の当事者・関係者に対する取材についても示されていない。
事件当事者のことや、「コミケテロ」と呼んだ人の見解にさえ禄に触れず、ここにあるのは、状況を何も知らずろくに情報も把握していなかったはずの人が語る「不自然で不公正な、根拠不明の偏った断定」ばかり。


まあ事件の起こりが8月下旬、吾輩の先のエントリの日付が10月13日、その間二ヶ月もなく、記者として素人で、事件後のごたごたやら入稿やらといったことを考えると、この期間で雑誌に載せられるような記事を書くのは相当に難しいとは思う。一応事件の経緯を見ていた吾輩でも、やろうとすれば相当困難なことだと感じる。それでもなおやるとすれば、不備が出るのはきっと致し方ないことだ。
しかし、時間が無い、玄人でもない、状況も悪い、とするならば。
それは引き受けてはいけなかったということである。
それで必要なことを書かなくて、情報も検証も足りなくて、欠陥によって記者の立場の側に偏っている不完全な報道、それが偏向報道でなくて何だというのか?

今思うこと

と、ここまで書いてみて。
吾輩は願わくばもっと平穏に、柔らかいメッセージを提示したかったのだが、結果としてやはり少々どころではなく攻撃的な文章になってしまった。しかしこの状況から、そして内容に正面から対峙した結果としては、仕方がないとも思っている。


吾輩はこの批判をもって、古鳥羽氏に「この間違いを理由に、責任をもって発刊されたすべての本を回収して焚書せよ」とか「すべての購入者に訂正を通知して回れ」とか無茶を言いたいわけではない。無理なだけでそれなりに責任自体はあるけど。
また「こんな酷い記事を書いた古鳥羽護は滅んでしまえ!」と言いたいわけでも無い。
もとより吾輩自身もそのように完璧ではない。失敗はあるし欠点もある。それは尽きないし、それによって全否定なんてしないしされない。
ただ、自分の為した結果であるこの記事の有様、その事実を認めて向き合ってほしい。そしてその結果に対して自分が今どのような態度をとっているのかをきちんと見直してほしいのである。


直ちにすべての説明責任を果たせ、とは言わない。吾輩の問いかけには絶対に返答しろとも、直ちに反論しなければ認めたと見做すとも言わない。忙しいときだってあり、優先順位も取捨選択もある。
しかし、今の古鳥羽氏はおかしい。この記事に「敵意を駆り立てた責任は私にもある。」「私に何ができたかはわからないが、慙愧に堪えない。」と書いていた人が、斯様に批判者を敵視し、認知(アクセス)すら明確に拒絶しようとしている。
そのメッセージの気持ちが本物であったならば、それを省みてほしいと願うものである。
なお吾輩は、吾輩へのアクセス拒否設定を解除しろとは要請しない。


*1:7月28日に「内偵し、居住地を確認後〜」という発言が存在する。

*2:吾輩がこの文中において誰がどのような言葉を発したか一々明記していないのは先行エントリを前提にしていることや、またここで流出ログ内で発言しているメンバーに「ある程度の」同一性を認めてよいであろうという考えによる。もし吾輩の記述に対して古鳥羽氏が、「ログの内容を見てもそのような記述は無かったか少なくとも自分は気付いておらず今見てもそういうものがあるとは思えない。」と言うならば改めて提示するつもりではある。