補遺・ネットイナゴというものについて

まあ以上のように願うところがあって書いてみたのだけど、これも吾輩が古鳥羽氏に「荒らし」の「ネットイナゴ」と認知されているとしたら、「唾棄すべきネットイナゴ」としてだけ処理されてまったく届かないかもしれない。そして実際、古鳥羽氏はこのところずっとそういう態度をとっているような節がある。
ゆえにここで、この古鳥羽氏の「ネットイナゴ」という言葉と認知そのものについて、これが誤りである、不適切である、あるいはまったく説明が足りておらず通じていないものである、という旨の疑義意見を深めに切り込んで提示しておきたい。


前述のように、古鳥羽氏は自分と対立し自分を批判していた人たちに対して、「ネットイナゴ」という言葉を使い、忌み嫌うような態度をとり向き合おうとしていないように思われる。
しかしそもそもそのような態度に至った経緯は、古鳥羽氏の記述を見ても腑に落ちない点が多い。


http://blog.goo.ne.jp/kotoba_mamoru/e/a42e40c227df42f818f5f2ff25ad1167

私自身、大義名分があったとは言え、「ネットの中の大谷昭宏」に襲い掛かったネットイナゴの一匹だった事を自覚はしています。なので、アキバデモの一件で自分がネットイナゴに襲われてみて、「こういうやり方はいかんなあ」と思ったわけです。その意味では大谷さんに会って謝りたかったのです。大谷昭宏さんは「ネットの中の大谷昭宏」には、全くコミットしておられない様子ですので、それほどダメージも無かった様ですが、私は「ネットの中の古鳥羽護」に深くコミットしていましたので、これは結構堪えたわけです。

まず「堪えた」は「たえた」「こらえた」ではなく「こたえた」なのだろう。(いやまあ前二つでも同じ意味は持てるだろうけど。)
だがその「ネットの中の古鳥羽護」にコミットしていることから「堪えた」に繋がる点、つまり何がどのようにダメージだったのかが掴めない。コミットするというのが正確にはどういうことを指しているのか(commitment=身を投じること、でいいのか?)、ここでいう「ネットの中の古鳥羽護」なるものに古鳥羽氏がどういう価値を与えているのか分からない。
何がしかの批判・非難を浴びせられたとして、その対象は、そのコメントの内容とその内容通りのことを考えている筆者そのものである。ダイレクトに「古鳥羽護というHNを名乗る人物」そのものへ向けられている。そこで問題になるのはPCの前に座る生の本人がそれをどのように受け取るかと、それを見ている他の人がどう捉えるかだけ。
「ネットで皆に賞賛され、ケチのつけられていない清廉な言論人・古鳥羽護」のイメージ・権威みたいなものは傷ついただろうが、それだと古鳥羽氏こそがネットに幻想を抱いていたんじゃないのかという話になる。そうではない点で、これが古鳥羽氏にどういうダメージを与えたと言っているのかが掴めない。ゆえに、どうして「いかんなあ」に繋がっているのかがはっきりしない。


http://blog.goo.ne.jp/kotoba_mamoru/e/038b95a2d34785cad9fa2fadb75da1ef

大谷さんに関する「情報的肥満」を引き起こした事の責任は感じているし、抗議の為にネットイナゴ的な卑劣なやり方を用いた事は素直に反省しています。また、私の「紙の爆弾」の記事に斎藤環先生が書いて下さった様に、ネット上ではまともな議論が成立しないんじゃないかとも思うわけです。なので、こういうイベントはもっと開かれるべきだし〜

そしてさらに、「ネットイナゴ的な」「卑劣なやり方」という言葉が出てきている。ここだけなら「ネットイナゴ的なやり方の中で、卑劣なやり方を自分は用いた」という解釈も可能だが、ネットイナゴをほぼ全面的に否定している他の部分と併せた文脈上、また他に卑劣であることになる経緯を提示していないことからも「ネットイナゴ的な=卑劣な」と読み取るしかないと思われる。
しかし「ネットイナゴ的」なことが、また「古鳥羽護」自身のかつての行動が、なぜ卑劣といえるのかが読み取れない。そしてそれ以前に「ネットイナゴ的」なこととは具体的にどのように定義されるものであるのかをさえ示していない。
この文章は古鳥羽氏自身の過去を自ら否定する形をとってはいるが、同時に古鳥羽氏が「ネットイナゴ」という括りで扱った人々すべてに対する否定・攻撃でもある。古鳥羽氏自身の意図の有無に関わらず、そのような性質・機能を持っている時点で、ただ自分の中だけで責任が処理され阻却されるものではありえない。
でありながら、当の古鳥羽氏は『私が公開のブログ上に何かを書くと、荒らす人がでてきてしまう』などと言っている有様で、それら結果についての説明もろくに語ろうとしていない。


ゆえに現状、考えを窺い知ることはやや困しい。
ただまったく情報が手に入らなかったわけではなく、今5月17日現在、検索してみるとgoogle検索のキャッシュが確認できる「【表現規制表現の自由は誰のモノ【大谷昭宏83】」スレッドにおいて、古鳥羽護氏はこの「ネットイナゴ的な卑劣なやり方」というものについて問われた際トリップ付きで発言していた。


http://news24.2ch.net/test/read.cgi/news2/1200663212/

284 :朝まで名無しさん:2008/01/31(木) 16:54:47 id:tdcW9ihN
>>282
>私はそれに反対しているというわけです。


古鳥羽氏の考えがわからなくなってきたんだけど
それをどう反対すればいいと思ってるの?


ブログで自分のやってきた大谷批判を
ネットイナゴ的な卑劣なやり方」だったと書いてるが、
ネットイナゴ的なことのどの部分が問題なのか書かれていない。
何がよくて何が悪いのか言わずに「イナゴは悪、ネットで議論は無理」じゃ、
もうこのスレの存在意義を全否定しはじめたようにしか見えない。


286 :朝まで名無しさん:2008/01/31(木) 17:50:49 ID:8EfjxDEe
>>284
ネットだけでどうにかする事に限界を感じたんだろう。


296 :古鳥羽護 ◆1VqmHx3hiI :2008/01/31(木) 22:11:49 id:khN0JWz0
>>284
一言で言えば、>>286さんの言うとおりなのですが、
手短に今の私の考えについてお答えします。


なぜネットイナゴ的なやり口を問題だと思うのかですが、
まず、「騒げれば何でも良い」という向きが「祭り」に混じりこむ事で、
抗議の対象から「単なる迷惑行為」と受け止められてしまうなど、
行動としての誠意を疑われてしまう点が挙げられます。
また、ネットを通じて伝播した情報に基づいてこうした行動が行われる事で、
根拠や評価の公平性への疑問が省みられなくなる場合がある事。
更に、「ネットイナゴ側の規範」に基づいて断罪してしまう事には、
「私刑」になる危険性があり、「法の支配」として問題があるという事。
 (以下略)

……とまあ、発言しているのであるが、やっぱり核心からずれている。

298 :朝まで名無しさん:2008/01/31(木) 23:59:44 id:Ih1ZFd3K
>なぜネットイナゴ的なやり口を問題だと思うのかですが、
>まず、「騒げれば何でも良い」という向きが「祭り」に混じりこむ事で、
>抗議の対象から「単なる迷惑行為」と受け止められてしまうなど、
>行動としての誠意を疑われてしまう点が挙げられます
具体的に誰が迷惑に思ったの?


>また、ネットを通じて伝播した情報に基づいてこうした行動が行われる事で、
>根拠や評価の公平性への疑問が省みられなくなる場合がある事。
ネットよりも新聞テレビ週刊誌のマスゴミの方がよっぽど公平性がないわけですが。


>更に、「ネットイナゴ側の規範」に基づいて断罪してしまう事には、
>「私刑」になる危険性があり、「法の支配」として問題があるという事。
ネットで語られた議論にそんな危険があると?それこそネット害悪論と変わらないのでは?


ていうか最近変だ>古鳥羽氏
転向した意見を言い出すようになったし、一体何があったの?


301 :朝まで名無しさん:2008/02/01(金) 00:39:30 id:FEGOMDPs
>>296
>なぜネットイナゴ的なやり口を問題だと思うのかですが、
>まず、「騒げれば何でも良い」という向きが「祭り」に混じりこむ事で、
>抗議の対象から「単なる迷惑行為」と受け止められてしまうなど、


なぜ、じゃなくて、何が、だよ。
ネットイナゴ的なやり口」とは具体的に何で、
それがどのような理由で「卑劣」だと言ってるのかを聞いてるの。
騒ぎたいだけのイナゴが勝手に沸くのは副次の結果であって、
古鳥羽氏だってそれを狙ってやったわけでもないでしょ。
イナゴ全体の問題点を個々の問題と混同してはならない。
(中略)
そうなる危険を避けたいという志向を持つことは否定しないが、
必要だからやろうとしていることを「卑劣」などと呼ぶのはそれこそ勝手な評価だ。
そも、不当なことをしているわけでもないのに
読者の勝手な行為の危険まで発信した者に押し付けるのは、
ここで一番やっちゃいけないことなんじゃないか?
(改行だけ少々いじった)

以上のレスでもう事足りてて今改めて指摘するまでもないのだけど、この>>296で古鳥羽氏の書き込みは途絶えてしまっている。*1ネットイナゴ的なやり方」とは具体的に何で、それがどのような理由で卑劣なのかについて、結局ここでさえ古鳥羽氏は述べておらず、むしろ卑劣という評価の理由としてはそぐわない理由が現れている。


個々のイナゴの行為の責任は個々のイナゴにある。
そして個々の行為が他に影響を与えることも問題が生じることもあるし、まったく正当な理由で正当なことをやむにやまれぬほど正当な事情で表明したものでも、それを原因とした問題が起こることはありうる。
可能な範囲でできるだけ危険を避けるべきではあるが、それも個別の行為が妥当性のある具体的な理由を伴って批判されるべき問題である。
なのにそこでそんな安易に、論拠も示さず反論も聞かず、危険を理由に、そのような責を負わないはずの正当性のある行為までまとめて否定して表現を統制せよと言い出すのはもはや自縄自縛、自分たちの首を直接絞めているように思える。
(それにむしろ「騒げれば何でも良い」という向きが混じりこむ事で抗議の対象から誠意や真剣さを疑われかねない、しかも主催者自らが「祭り」と称してそうなるように仕向けて行っているものだったというのはまさにアキバデモ批判理由のひとつである。)


この具体的な説明の伴わないネットイナゴ的」というレッテルによる一方的な拒絶は、「オタク的な××に悪影響がある」というような不条理なレッテル貼りと何が違うのか?吾輩は、なんら変わるところがないと思う。そしてこのレッテルの効果、使われ方は、ただ批判から逃げるためのワイルドカードもどきでしかない。
一般的に「ネットイナゴ」と呼称されている事象には大抵問題点があり、また同様の問題点を抱えたネットイナゴと呼べるものがアキバデモ批判などのときにも存在したとは思っているが、古鳥羽氏が自分のために使っている「ネットイナゴ」という言葉が対象としている範囲は少なくとも吾輩が認識しているものとはまったく異なるし、その範囲すべてに「荒らし」と切り捨てる妥当性があるほどの共通した問題点も提示されていない。


また、この古鳥羽氏の態度を後押ししているものとして、以下の見解が強く働いているように思われる。

私の「紙の爆弾」の記事に斎藤環先生が書いて下さった様に、ネット上ではまともな議論が成立しないんじゃないかとも思うわけです。

たしかに当該記事では斎藤環先生が次のように述べている。

ネット上で匿名の議論を展開することはあまり意味がないと思います。ネット上で「開かれた議論」がまともな成果をあげたのを見たことがありません。そもそも「まともな議論」は、ハンドル名をふくむ匿名では成立しません。

ネットはあくまでも、告知や情報提供に使用すべきで、意見交換は名を名乗り、顔が見えるところでする機会を持つべきでしょう。

しかしまず一点として、国会を見ても討論番組を見てもよく感じることだが、そもそも議論自体が難しいのであって、ネット上じゃない議論がまともな成果をあげたものがそんな高い割合で存在するのかといえば相当怪しいと思う。
吾輩の主観から述べるならば、むしろまとまった議論って、基本的には参加者の根回しと手打ちの結果が大きいのではなかろうか。テレビで人が何かしら話し合っているのを見ていて「いや違うぞ、そこで納得するな!俺にこの見解を提示させろ!」と思った経験は多くの人にあるはずだし、規制反対の話の中で槍玉に上がるようなナントカ会議が本当に公正できちんとした「まともな成果」をあげてくれていれば今こんなことになっていないはずである。
それにそもそも実際に大きな時間を割いてまで顔をあわせるに至るということは、顔を合わせることが有用でコストに見合うという判断をするに至るほどの前提状況が完成しているということである。それを比較することは意味が薄い。


そしてこの、議論に意味がない、議論が成立しない、という見解を援用しているようなのだけど、ここでいう「議論」とやらのレベルが定かでないことが不合理を生んでいるように思う。
「じゃあどんな些細な検証も検討もネット上では成功したことがないのか!」という話*2ではなく、難解さの前にそもそもどこからが「議論」になるのかということ。


最初に「こういう疑念があります」「こういう問題点があると考えます」ということの提示がなければ、そもそも議論が始まらない。批判せずまったく同じ意見を持って賛同してくれていると思っている相手と、わざわざ議論を始めようとする人はいない。
以前のエントリでも軽く触れたが、そこで情報提示、批判、議論、の明確な区別はつけ難い。逆からいえば、議論という状態もひとつひとつのアクションは単なる情報提示だといえる。
おかしな主張が展開されているとき、そこに異論をもっている人が直ちにそれを表明できないなんてことはおかしいし、そこで批判を提示された側に己の正当な見解と主張を提示するななんてことも言えないのである。
ゆえにここで批判から逃げて、ネットイナゴ、荒らしなどと呼び、批判者そのもの全体を否定し拒絶する古鳥羽氏の姿勢はおかしい。


そして、この記事の斎藤先生のコメントを支持し、そのような見解に立っているとしても、吾輩は古鳥羽氏の行為が大きな矛盾を孕んでいるように思える。


もし「まともな議論はハンドル名をふくむ匿名では成立しない、あくまでも告知や情報提供に使用すべきで、意見交換は名を名乗り、顔が見えるところでする機会を持つべき。」という見地に立っているのならば、古鳥羽護というハンドル名で、顔を出さず、顔の見えない相手を一方的に批判しているこの記事はいったい何なのか。
記事の最後には『そして、「お前がいうな」とおっしゃる方々、どうかこの誌面への投稿をお願いします。』と書かれているが、これでは先の主張に従ってもただ場所を雑誌にしただけの「報道イナゴ」でしかない。この記事は存在自体が矛盾している。


と、以上の通りに情報として、吾輩の主張を提示しておくこととする。


*1:しかしなにげにこの後の流れは、特に吾輩にとってかなり果てしなくいたたまれないものなのだがそれはまた別の話。

*2:その線引きも気にはなるが。