都築先生ととらハと吾輩

Gを発掘したついでに都築先生について。古い話だし9割愚痴なので畳む。
直接話したこともなければ顔も見たことないけれど。まずぶっちゃけて言うと吾輩はこの都築真紀という人は個人としては嫌いである。より正確に言えば言動が嫌いだった。さらに素直に書くなら、吾輩にこういうことを言わせる原因はただ一つ、かつてギャラリーページに載せた長い愚痴が吾輩にとって許容範囲外だったことである。
その原文は数日後すぐ消されてしまって全く保存していないがその内容は吾輩の印象にかなり強く残っている。消したときも内容については偽らざる本音だったということを言っており、書いた内容についての訂正や謝罪はしていなかったと思う。
その文の吾輩の記憶に残っている内容は大まかに、1.とらハSSについての苦言、2.とらハ倶楽部弐号掲示板についての発言、3.とらハFD第二弾の要望署名についての感想、4.ほぼ名指しでのファンサイト批判、の四点。


まあ都築先生が相当ナーバスだというのは既に知っていたし、当時OHPやファンサイトでファン活動をしていた層について、ここで吾輩自身のことを客観視するのは難しいしややこしくなるためあえて避けるが吾輩を含めた全体の中で少ないとは言えない割合が少々行き過ぎたイタい行動をとっていたのも事実ではある。


1.まず“件のギャラリーページ”の絵はとらハのSS同人誌「想いの欠片たち」に表紙画像として昔都築先生が提供したもので、この本を(今巷に溢れているおかしなSSとは違って)きちんと普通に作られた正しいとらハ本だと褒めたところからこの文章は始まっていた。現在の一部のとらハSSについて「御神の剣士で霊剣使いで夜の一族の能力をも兼ね備えたオリジナル主人公が並居る敵を薙ぎ倒す」ようなモノが転がっている昨今の状況を快く思っていないらしい。吾輩はSS自体ほとんど読まないのでよく分からないしそもそも他人のキャラクターを使うこと自体に抵抗があるため、「まあ人それぞれでそういう愛し方もあるのではないか」とは思うけれどこれについてはなんとも言えず。


2.「とらハ倶楽部弐号掲示板」について「私が好きなのは昔の真剣なとらハ倶楽部であって、自己紹介とネタフリが延々続く状態のあそこを悪いとは言わないが私の好きだった場所ではない。」ということを言い切ったのは分からない部分も無いではなく、作品掲示板で自己紹介スレを見ない日は無いという状況は当時ネットを使い始めたばかりの吾輩でも疑問に思ってはいた。
ただ自己紹介スレを立てるような行為はさておき*1、人が増えてくるとある程度混乱することは仕方がない。なにしろこれはOHPの掲示板であって一見さんお断りの会員制クラブではないのだから選ばれた者たちだけの空気を維持するなんて無理であろうし、吾輩も怪訝には思っていたけどOHPで人が多いことを言っても始まらないし、はじめましてが沢山言えるというのは悪いことではないのだろう、と思うようにしていた。
そして「好きだったとらハ倶楽部ではない」と言われたその場所もファンの交流掲示板としてそれなりに機能していたというのもまた事実であり、たとえば吾輩などは今現在でもmixiで登録している人数*2のうち約半数は当時のとらハ倶楽部弐号で知り合った人だったりする。
人が増えた結果として場所は変質し昔の住人たちは別のところへ移動してしまったであろうし、吾輩なども後には馴染みきれずにやはり離れた。それはある意味自然な流れであって、ここで看板背負っている立場の人間が気に入らないからとどうこう言うのはそれこそ大人気ない態度ではなかろうか。とはいえ態度はともかく都築先生個人の感想を率直に述べているだけだからこれはまあいい。


3.とらハFD(当時は仮称で「箱2」と呼ばれていた。吾輩は“3箱”という認識だったけど。)希望要請署名についての言及では「支持してくれるのはありがたいけれど、愛することに代価を求めないでください。」ということを言っていた。
吾輩は当初この署名についてまさにそれは考えていたし、無理な圧力にはしたくないという思いからしばらく参加を見送っていたが、支持している人がいることは励みにだってなり得ると考えてそういうコメントをつけた上で参加した。そういった想いがこのような一言で迎えられたことは、非常に暗鬱な気持ちにさせられた。


4.某ファンサイト*3ほぼ名指しで批判したこと。吾輩が最も度し難いと思うのがこの部分であり、これがなかったら吾輩は今更改めてここでこんなことを書かなかった。
とらハ倶楽部に関する言の続きで「“〜○○支部”というサイトもありますが、これはとらハ倶楽部とは一切関係ありません」と書いた上で、「最近オフィシャルで“とらハ”でなく“とらは”という表記を使った部分があるのは(そこの管理人が言っているような)そのサイトの影響力によるものではない」ということにわざわざ言及していた。
「○○支部」という表現になっていたが、ひらがなの「とらは」を使っていてその表記が該当するそれなりに有名なサイトといえばほぼ一箇所に特定される。吾輩もそこは以前から知っていたが、もちろんそういう名前をつけているからといってオフィシャルの関係サイトだと思ったことなど一度もない。この文の中では他に「ある作品のファンサイトでその作品の登場人物と全く同じHNを使う人がいること」も批判していたがそちらに関しては全く正当だと思う。しかしいくらなんでも支部と書いているだけでオフィシャルと考えている人は他にもほとんどいなかったであろう、と、吾輩は思う。ただ意識調査のデータなんて持っていないから無かったとは言い切れない。
ただそれでも誤認させようとか箔を付けようとかいうのではなくただ親近感から〜支部という名前をつけたのではないかと吾輩は考えていたし、吾輩の感覚ではそれだけをもって批難する気にはなれない。この文ではここについて明確な批難の形をとることは避けてあったが、わざわざ「〜なことはありません」と否定的言及を繰り返したのがそのサイトへの悪意によるものであることは明らかであろうと思う。
そしてその「とらは」表記について、たまたまそうしただけであって件のファンサイトとは全く関係ないと言ったことだが、これが何の表記についての話だったのかははっきり憶えていない。ゲームディスクのボリュームラベルか何かかと思って今ゲームCDを確認してもそれらしい部分は見つからなかったのだけど、なんにしてもたしかその程度の滅茶苦茶些細な問題であった。
それで問題の中核のひとつは「〜支部」管理人が「とらは」表記を自分の影響であると喧伝していたかどうかであるが、吾輩は思い当たることが一箇所、確かにあるにはあった。
それは当の「〜支部」の掲示板にそこの管理人名義で書き込まれた発言である。それは「ウチの道は間違ってなかった」とかいうタイトルの書き込みで、原文を再現できないので吾輩の感覚であることをことわった上で要約すると

とらいあんぐるハートの略称は“とらハ”が主流だった。カナ変えるの面倒だったのでサイト名を“とらはくらぶ”にしていた。そのためちょっとだけ肩身が狭かった(笑)のだけど今の新作で“とらは”という表記が使われていたので間違っていなかったようでよかった。

というだけの内容でしかなかった。吾輩の要旨解釈なので異論もあり得るが、少なくともタイトルに「間違ってなかった」という表現はあったはずで、これは明らかに「こちらが影響を与えた」という解釈にはそぐわないと思う。
そのサイトでは当時人気投票をやっていたため吾輩はわりと頻繁に覗いていたが、「とらは」表記に関する管理人の発言はそれ以外には知らない。もし都築先生の発言に至る理由がこれだけだったとしたらほとんど冤罪に近い。
もちろんこれはあくまでも吾輩が知っている限りの話であって、他に日記で自身の影響力について書いていたとか、あるいは他のサイトの掲示板やチャットで「自分が影響を与えた」と吹聴していたとか、別の事実によるものだった可能性もある。しかしここでさらに微妙なのは、ほとんど明確だけど完全な名指しではなく「オフィシャルと関係ない」ことも「そのファンサイトの影響ではない」ことも一応事実でしかないということである。しかし実際にはこの文章がギャラリーに載った直後、件のファンサイトの掲示板に「都築先生がはっきりこういうことを言ってる。このサイトの影響なんかじゃないから思い上がるな。」という旨の書き込みがあった。
仮に「第三者の吾輩が知らない事実」があって、それにそれほど文句を言いたいならばはっきりと名指しでぶち上げるべきで、反論あるいは釈明も思うようにできないこのようなやり方は一方的で卑怯な攻撃だと思う。反論を受けてそれぞれの主張と事実を提示してこそ真実が分かるというものであろう。
追い打ちするようでなんだけどこれとは別に後の日記で都築先生は「議論しようというのは相手を負かそうという意思のあらわれだから議論は嫌い。」というようなことも言っていた。しかし一方的な印象や誤解を持ち続けるより自分が正しいと思うことを互いにぶつけ合って議論する方がいいと吾輩は考える。
はっきり「○○○○支部というサイト管理人の○○○○はこんなことを吹聴し自分の影響力を誇示している。」と書かれればそれは誤解だと釈明したり或いは紛らわしいことをしたというならそれについて謝罪したりすることもでき、場合によってはその解釈はおかしいと反論することも考えられるが、こういった曖昧な攻撃ではそれに対応した釈明さえ難しくなる。


そして、それらに加えて、これらの愚痴が載っていた場所が、前述したように、他でもないギャラリーページだったということがまた酷い。当然とらハ原画家自ら描いたものだから新しいファンも見たがる。それを狙った面もあるのではないかと吾輩は思っている。同人誌「想いの欠片たち」を出した頃のとらハ倶楽部と居心地の良いファン層を懐かしく思うのも結構なのだけど、それを愚痴の道具にしてしまうのは当時の執筆参加者たちに対しても失礼なことではなかろうか。
ファン個人たちの行為が嫌いなら作品とは切り離してそれを具体的に批難すれば良いのに、と思う。そして現に吾輩はそれ以来この絵を見るたびにこの文を思い出しこのイメージと切り離せなくなった。それは去年の10月以来、Floraliaの主題歌「恋の花」を聴くたびにいつも「ゆんちゅ」の発表から味わった様々な感情が呼び起こされるようになったことにも似ている。順序逆だけど。


吾輩は瞳ちゃんも由佳里先輩も今でも変わらず好きである。
で、都築真紀にしても藤原将にしても、個人としては嫌っていたりもう信用できなかったりはするが、それでも吾輩の心底愛しているものを創ったスタッフのうち主要な一人であるということについては今でも敬意を持っている。
都築先生は作品に関しては(良きにつけ悪しきにつけ強烈に作用してしまうほど)強いポリシーを持っている人だと思うし、Gの連載中止にしても無理矢理に話を閉じる最終話を書くことは不可能でなかったろうが、愛を注ぐべき己の作品にそんな愚劣な処置をすることはどうしても許せなかったのではないかと、まあ勝手な推測だがそう吾輩は解釈していたりする。あの状況にしたことはともかく、あの状況から最後を描けなかったことは仕方の無いことだと思う。
ただそれはそれとして、吾輩には好きな作品とは別として許容できない部分がある、というそれだけのことなのだ。
(6/4・11/6に少し追記)


*1:吾輩の場合はじめましてスレがあったのでとりあえず場の流れに合わせて一言便乗挨拶したのが初レスだったと思う。

*2:といっても十数人しかいないけど。なお吾輩のマイミクシィには今のところ直接面識のある人しか登録されていない。

*3:追記:今更わざわざ巻き込むのが嫌で伏せてたけど、都築先生の書き方が明確でないことを批判した手前明確にしておくと「とらはくらぶにゃ〜ご支部」のことである。